それは今も続いてる 泥にまみれても(始まり後編)
FC吉備国際大学Charme
2009年、ファジアーノ岡山の下部組織の公式戦で、スタジアムアナウンスのお手伝いを紹介していただき、はじめてスタジアムDJというお仕事をしました。
2011年には、ピンチヒッターということで、Jリーグの公式戦でスタジアムDJを担当させてもらいました。とても栄誉。とても感動。単純に当時はそれだけだったと思います。
でも、ほとんど年に1回くらいしか出番としてはなく、会社で働きながら平凡な生活を送ってました。
ある日、とあるイベント関係の方とご飯をご一緒した時に「とある女子サッカーのチームがスタジアムDJ探してるよ?」とご紹介くださり、そこからお仕事させていただいたのが「FC吉備国際大学Charme(現吉備国際大学Charme岡山高梁)」でした。
はじめてのレギュラーのお仕事、はじめてのなでしこリーグ。
色々緊張ですよ。
で、ここだけの話をすると、その時に「なでしこリーグのスタジアムDJを一度見学したい」ということでお願いしたのが、当時岡山湯郷BelleのスタジアムDJをされていた藤澤翼さんで、それがはじめましてだったわけです。
吉備でのスタジアムDJは、2013年途中から、2014年まで続きました。今では僕自身のスタジアムDJとしての基礎を勉強することができ、何よりその後もなでしこリーグの試合のたびに会って話をすることになる当時の選手たちやスタッフの方々とのご縁をいただきました。素晴らしい時間を心から感謝しています。改めてありがとうございました。
サッカー→別のスポーツへ
2014年から3シーズン、JFLファジアーノ岡山ネクストのスタジアムDJを担当させて頂き、地元に根差したスポーツチーム(サッカーチーム)2チームを担当させていただく光栄をいただきました。
ただ、良くも悪くもサッカー以外のスポーツしか出来なかったので、簡単に頭打ちになりました。
サッカーのDJになりたくて始めたのに、他のスポーツに目移りして大丈夫なのか、という今考えたらなんで悩んでるのかわからない葛藤もありました。
若かったんでしょうね、、。(笑)
経験のないスポーツへの不安はありましたが、そういう妙な葛藤を捨て去り、野球に始まり、バレーボール、フットサル、バスケットボールなどのスポーツのMCをすることが出来るようになり、さらにはキッズイベントやランバイクレースにおいてのお仕事もいただけるようになりました。出来なかったことが出来るようになる喜びや達成感は、今でも変わることのない気持ちであり、今後も同じであると言えます。
大切なことは先入観を持たないこと。
大切なことはベストを尽くすこと。
そして大切なことは、自分にゴールを決めないことだと思います。
この仕事を始めて、たくさんの方の笑顔を作る、たくさんの笑顔によってスポーツが盛り上がる、そしてそこから地域の活性化が生まれる。そういう動きやうねりのような物を見ることができました。
たくさんの笑顔をもっと咲かせることが出来るように、まだまだ頑張らないとですねー。
これから。
さて、まだまだ道半ばにも関わらず(というかさっきゴール決めないって言ったばかりなのに)、これからのお話をしましょう。
これから僕がやりたいことは、
声を使って子供達に体験して楽しんでもらえる何かを考え、実践すること
まだまだ新興勢力と言われるスポーツの発展に携わること
この2つです。
どこから手をつけていいのか手探りのような、ヨチヨチのような状態ではあります。
少しずつですねー。
達成出来るように動いていきたいなーと思います。
簡単に敬意みたいな物を2回に分けて話していきましたが、次回からはもっと自分のこと、考え方なんかも書いていけたらと思います。
ほいじゃ。
岸本