似たような犬が狼ぶって 鳴らし始めた音(音楽活動今昔物語1)
1999年9月9日、自分の高校の文化祭でサッカー部に所属していながら、サッカー部の出し物には参加せず、スピッツのコピーバンドでボーカルとして初めてステージに立った岸本ヒロキです。おはこんばんにちは。
同級生の友達にフェンダージャパンの白のストラトキャスターを借りて、ステージに立たせてもらい、演奏終了後に、かっこつけてピックを客席に投げて颯爽とステージを降りましたが、後輩の女の子に「落としましたよ?」とピックを届けられたことは、今でも大切な思い出です(泣いて良いですか?)
今日は今までの音楽活動のことを少しづつ、それからそれに合わせて自分の使ってきた楽器のお話をしたいと思います。
だいぶマニアックでだいぶ自己満足なシリーズとなります。ご了承ください。
路上ライブ始める。忘れられない思い出たち。
1999年、うちに高校の学年で最速の大学合格者だと思うんですが、早い段階で進学が決まり、合格祝いにアコースティックギターを買ってもらうことになりました。
エレキギターは2本くらい持ってたんですよね。
ZOー3っていうアンプ内蔵のものと、ビジュアル系バンドぽいレスポール(いまだになぜあれを買ったのかわかんないんってほどのデザインなんですけど)。アコースティックギターははじめて。このギター、ビートルズのジョンレノンが使ってたことで有名な楽器のコピーなんですけど、別にジョンレノンが好きだからコレってわけでもない。とにかく、ツマミやらピックアップが付いてることで強そうに見えたんでしょうね笑
このギターを持って路上ライブをスタートさせるんですけど、レパートリーが壊滅的に少なかった。
スピッツのチェリー(初めて弾けた曲)とあと2曲くらい。大丈夫か、、、。
でも初めて路上ライブに行った日は忘れもしません。当時ゆずの爆発的人気で、みーーーーーんなゆずを歌ってたんです。しかも5mおきくらいに。あまりの強烈な光景に、しばらくただ見ているだけしか出来なかった。。
灯りが煌々と照らすところを避けるようにして、隅っこで演奏した記憶があります。他の人の演奏に押されながら歌っていたら、一人の男性が目の前に腰掛けて「一生懸命演奏してるのが見えたので、1曲聞かせてください。」と仰って、、。
精一杯歌いましたね。今自分が出せる精一杯。
あの時、あの男性が聞いてくれなかったら、今の自分は無かったかもしれません。本当にホッとしたし、またやりたいって思えた瞬間でした。
路上ライブでは本当にたくさんの友達ができ、思い出ができました。
みんな今どうしてるのか分からない人の方が多いんだけど、またどこかで再会できたら思い出話もできるかな。。
まさみ、まひこ、マりえル、ビーンさん、キャップ、つう、よしき、シンくん、ゆりかもめ、うっつん、田城くん、りゅうさん、RYOKOさん、あいちん、、、
まだまだたくさんいるのだけど、皆さんに感謝です。この場を借りてありがとう伝えたいです。
The Street Fighters
ある日、大学でPCを触ってる時に1通のメールが届きました。
瀬戸内海放送のとあるディレクターさんからの取材依頼。全国ネットで放送されている深夜番組で、地方で頑張っているアーティストをミュージシャンに限らず応援している番組だそうで、少し不安に思いながらも取材を受けました。
「岡山路上御三家」という触れ込みで、宇都宮徳馬さんと三星堂さんと僕が取り上げていただきました。
その後も、番組とのお付き合いは続き、僕のレコーディングを密着していただく回もありました。今思えばあの頃は若くて青くて、何にも知らなかったなーと思います。
一番印象に残ってるのは、岡山一番街という地下商店街があるんですが、そこのイルカの広場というところで、イベントの運営に携わらせていただいたこと。
イベント開催に当たってのさまざまな動きを管理しなければならないため、自分では考えつかないようなところまで目を配らなければいけなかったのですが、今のお仕事に通ずるところは多くありました。
30歳になるくらいまで路上ライブは続けていましたが、きっとあの経験が今の自分を作り、そして今の自分の礎になってます。
バンド編に続く。。。
今度は何か面白いエピソードとかも織り交ぜてみよう。。。
岸本