私の芸術運動117描く価値
昨日の夜に、仕事を終えて帰宅した私は彼女の作ってくれた晩御飯を食べ、風呂に入ってベランダでタバコを吸っていました
私はベランダから見える景色を眺めながら
同時に、最近絵の進みが芳しくない事について考えていました
描けばいいというものでもないですし、描いていないからダメということもないのです
ぶっちゃけどちらでもいいわけです。
私が描こうと描かまいと、誰かが困る訳でも無し
私はいじけているわけではなくて、本当の事なのです、別にこれに良い悪いもありません
私は画家だから描かなきゃならないなんておかしな話でしょう?
自分を意図的に追い込むようなやり方は時として必要ですが、継続する秘訣ではないと思います
ここで話を戻しますが、私はベランダでぼんやりタバコを吸っていますと、うっかり本音が漏れてしまってのです
「この世界は絵に描く価値があるのか?」
そんな素朴な疑問です
モチーフとしての世界での話ではないです、この世界は芸術に価値を見出してくれるのでしょうか?
例えば私の描いた一枚の絵に20万と値段がついて誰かが買っていったとします
私の手元には20万が残ります
これは画家として絵が売れたという嬉しいことのはずなのです、周りの知人達も絵が一枚で20万??と驚くかもしれません、しかし、私の方が消費者のように感じます、消費されていくような感じもします。
まさに取らぬ狸の皮算用なので、この考え方に価値は無いのですが、何のために描いているのだ?と考えさせられます。
昔、長谷川利行という画家が台東区界隈に生きていました
その人の言葉にこういうものがあります
「絵を描く事は生きる事に価するが、生きる事は絵を描く事に価するか?」
この言葉にはハッとさせられる何か?があります🙇♂️