私の芸術運動152最高傑作
拙いところも多々ありますが、やはり私の描く絵はとてもいい絵だと思います。
部屋に飾って「オシャレー」と周りから言われる様な絵じゃありませんが、一つの生命と対峙する様な重みがあると思います
それは好き嫌いに関係無く、一人の人間と人間的に交流する様な重みです、良くも悪くもそこにコミュニケーションが生まれ、何かを考えるきっかけを引き起こすもの
例えば他人にされて嫌だった事も、相手の事情を知ればまた見え方が変わってくる様に、自分の持てる情報や経験や心理状態によって見えるものが変わるのと同じく、私の絵に対しても同様のエネルギーがあると思うのです
自分が心地よく感じることだけが人間の成長を促すものでは無いでしょう
芸術は人の心をリラックスさせるだけのものじゃ無いです、時には心にジリジリとにじり寄って不安な目つきでこちらを睨む事もありますし、遠くの方で軽く会釈している時もあります
日常生活の中でも、自分にとって重圧に、つまりストレスに感じられる事が後の自分を支える力に変わっていたりします、その中でも必要なストレスと不必要なストレスがあります、今の社会はどちらも満遍なく散りばめられた息苦しさが確かにあります。
しかし芸術は選べます、というよりも、生命同士を結ぶ縁というものが人間と芸術の間にも結ばれます、そうでなければ出会う事も無いでしょうし、目にしたとしても目に留まることはないと思います。
それもこれも縁起というものは自分で作っているという自覚が無ければ起こりかねます
例えば一人の孤独な時間を楽しめる人間ならば、読書や、物書きや、芸術という類のコミュニケーションに縁が生まれるでしまう、一人キャンプや映画、料理、色んなものの中から自分の作った縁によって人生がいくつも生まれてゆくこととなります
孤独が恥ずかしいこと?辛く悲しい事?これは人によります、画家は強烈に孤独な仕事ですが、孤独が嫌だと思っていないから、それは辛く悲しい孤独なのでは無く、心震える素晴らしい愛おしい時間だったりするわけです。
世界は案外底無しの孤独です
これは自分の責任でも他人の責任でもありません、ただ人生を謳歌していると思いましょう、良いことばかり、辛いことばかりじゃ無いです。
全てが一瞬で満たされる世界なら、残るは絶望のみです。
お金が欲しいと思えば目の前に現れ
車が欲しいと思えば目の前に現れ
恋人が欲しい、愛人が欲しい、伴侶が欲しい、と思えば目の前に現れ
もっと欲しいと思えばもっと現れ、全て消えてしまえと思えば全て消え
そんなものが本当に幸せなわけが無いでしょう。
本当の幸い、それはまさに今すぐにはどうにもならない今です、そんな今を自分はどうする?という事、誰もがそうです、そういう葛藤や焦燥がいいスパイスとなって有逸無二の、自分だけの素晴らしい思い出となって未来を作ります、あとで思い返した時に自分で納得できるか?というところに全ての鍵があります。
芸術はそれら全てを内包した人間とは違う生命体だと私は感じます、つまり芸術は!!人間の作り出した物の中で最高傑作と言えます