私の芸術運動15新時代
前回の記事覗きに続きを書いてゆきます、よろしくお願いします。
前回の記事で私は芸術で一時代を築こうなんて大それた事を言いましたが、あながち無理な話でも無いのです
既に時代の転換機も来ているように感じますし確実に芸術も新しい流れが生まれるはずですよ
美術史を見て芸術を追ってきた私達が実は今芸術を作る立場に置かれているのです
次はどんな芸術時代が来るんだろう?
次はどんな芸術運動が起こるんだろう?
次はどんな芸術が価値を持つんだろう?
という受け身では既に時代に置いていかれていると考えます。
これから私達が作ってゆくわけです、それぞれが自分の思う芸術を耕しています、時代に合わせる柔軟さ器用さも大事ですが、芸術をするという事は時には不器用に自分の心を信じて突き進む事も必要でしょう
追随者よりは革新者でありたいものです。
世界を変えるのはいつだって自分を貫いた者たちだったように思います
私はあえて時代に逆行する様ですが超日常的なモチーフを扱ってゆきたいと思います
昔は貴族たちの肖像画や宗教画を描いて来ました、パトロンお抱えの画家が権力を有したものですが、かなり狭き門であり、厳しい世界だったと予想します。
時代は流れ徐々に庶民へも芸術というものが浸透してゆき芸術家は自由を求めて外へ飛び出してゆきます、自然光を描く印象派というものが生まれその後印象派から派生して様々な容態に変わってゆきます
しかしそれは次第にビジネスと密接に繋がって行き自由を通り越して何でもありの様な雰囲気を帯びて、そして芸術はいつしか日常に溶けて消えてしまいました。
どこに芸術の分岐点があったのでしょうか?
いや、常に分岐点ではあるのでしょうがどこかで潰えた様な気がするのです
こんな事を言うと怒られるのかもしれませんが私はずっとそんな印象を覚えていました、もしかしたら皆さんの中にもアートは終わったと感じている人がいるかもしれません
ロックは終わったと昔誰かが言ったのと同様の事が芸術にも起きているのでは無いでしょうか?
美術館で日々行われる企画展をよく見にいくのですがどうも現代美術と近代美術の間にはどうも空白の期間を感じるのです、糸がプツッと途切れている様なそんな感じがいたします
私が現代についてゆけていない古い画家と言えばそれまでなのでしょうね😂
もしそうならば、私はやはり自分の感性と心中する他ないのです
昔から絵の事はわからないと言う人が多いですが、わからないとはどう言う事でしょうか?
ただ一つの答えがそこに描かれている訳はないのです、ペラっとめくればそこに答えが書いてあるわけでは無いのです
自分の感性を放棄した人がそう思うのです、言い方を変えれば興味がないのかもしれません、それは強要しません、しかしそういう自由に何かを考え読み取ろうとする力は芸術にだけ発揮される能力じゃー無いのです。
どんな仕事をしていても自分の心はいつも何かを読み取ろうと試みているはずです
しかしそれを否定してこうだよと答えらしきものを提示してくる人達がいます
自分はそれはなんか違うと感じながらもそうなのかと心を止めてしまう
芸術も同じです、芸術に詳しい人がペラペラと芸術家に代わってあれやこれや語り、それを聞いて、あぁそうなんだ!私は何も知らないのだ!!と思っているだけのことに過ぎません。
現代美術は特にそういう色が強く感じます
自由に見えてかなり窮屈なものを私は感じているのです。
しかしこれもそろそろ終わりを告げ、より自由に自分が感じた事を大事にするべき時代がやってきます!!
その時必要なのは人々の忘れてしまった心を解き放つ真に自由な芸術です
まぁー本当に自由が必要なのは芸術と対峙する人間の方なのですが。。。
それは見る人も描く人も同様です。
私自身も
Instagramで絵の発表をしています、覗きに来ていただけると幸いです、あなたの芸術を教えてください。