私の芸術運動170覚者

前回の記事で人生の岐路に立っているのだろう

という記事を書いた。

今日の朝起きて仕事に向かう途中で心の中で何かがストーンと腑に落ちたのがわかった、通勤中の私が喫煙所に並んでいると、お坊さんが並んでいる私の前に割り込みそのまま喫煙所に入って行ったのだ、喫煙所内も既に定員オーバーだったがお坊さんはゲップをしながら何食わぬ顔で入って行ってしまった、私は内心イラっとしながらもあのお坊さんがゲップをしながら割り込みそうまでしてタバコを吸いたかった現実に少し笑いが込み上げてきた。笑

仏の道を歩む人ですらやはり人間でありあくまでも私となんら変わらないわけで、私が勝手に作り上げた先入観で私自身がイラっとするのはいかがなものか?と考えた。

割り込みは良く無いけれど、そんな事で腹を立てる自分がちっぽけに思えて笑えてきたのだ、むしろお坊さんだから仕方ない!とさえ思えてきた。笑

このお坊さん事件は最近人間関係の間で揺れイライラする事が多かった私自身が、作り出したものに過ぎなかったんだな!と私に思わせた。

その瞬間ストーンと心の中で何かが腑に落ちて私はスーッと心が軽くなったのを感じた、今のところ文章に起こすほど明確に心の中で何がどうなったのか?はまだ理解できていないけれど、近々私の中で考えが追いついた頃、目に見えて何か変化を感じ始めることになるだろうという確信はあるのです。

私はその心境の変化、転機、が私の芸術運動にどの様な変化をもたらすのか?が楽しみだ!

私は画家であり、心を清く、自然を愛し、全てを受け入れ、一筆一筆に思いを込めて、精神を統一し、感謝する!!もはや!!私の方がお坊さんなんじゃ無いか?とさえ思えてくる。

前々から思っていた事だけど、芸術はのめり込めばのめり込むほどに精神世界的な感覚になる、目に見えることばかりを描いているわけじゃ無い、むしろ目に見えないことの方が芸術には大切なのだ、それこそ静寂の中で風や揺れる葉の音を聴き、目を閉じて、無心になる高僧の様な、いわゆる覚者の様な領域を私はめざしている!のかもしれない。

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