私の芸術運動174美しさ
実は人生には何も起こってはいないんじゃないかな?
どういうことかって言うと
ここは、私達を喜ばすための事が起こる世界でも無い、悲しませるための事が起こる世界でも無い、生きている人間がただ起こる事に意味を持たせているんじゃないかな?と。
そう考えてみるととても寂しく、虚しく感じる、だけど日常生活を送る中で昔からふとむなしいなぁ、と思う事はいくらでもあった
今だってそれは変わらない
だけど虚しさの意味が自分の中で変わったのは感じています
ハッキリと自覚したのはいつだったろうか?画家になった時にはそれはもう自分の中では変化した後の事で、それよりももう少し前、多分会社を辞めた頃だと思う、東京に1人で出て来て、1人で稼いで生きていける様になって、だけどこれが本当の私なんだろうか?とまるで子供じみた事を考えていて、自分の心の中に渦巻く虚しさとか寂しさみたいなものをどう扱えばいいのかよくわからないでいたころ。
けどだからって虚しいから絵を描いているわけじゃ無い、虚しい、寂しい、と言う事がいつしか素晴らしい事に感じたからだ、それは自分の中に情熱がなかったからだ!!と今となっては思う。
平成に生まれて私は周りに見えるものに色が感覚的にグレーっぽく見えた、色は確かにあるのに何故か私にはそう感じていた、絵の具で色をつけ足したわけじゃ無い、本当の色に戻しただけ、絵に描いて見たら虚しいと思っていた事は実はとても美しい事だった。
多分私が見ていなかっただけなんだと思う。
色彩感覚は子供の頃に定まると言うが、そう言った点では私はもう手遅れではあるかもしれない、画家になったのだって遅い、だけど、画家になる事が決まっていたみたいな道筋があって私はそれに飛び込んだだけ、すると情熱が湧いていて、本来の色を取り戻し始めた。
これが生きると言う感覚なんだろう、と私は思っている
冒頭でも書いたことだけど、この世界は実は何も起こっていない、だけど人間が生まれて世界に色が出来て、色んな事が起こった。
誰の為かは知らないけれど、私は兎に角絵を描く様に促されてる、感覚的に世界が人によって見え方が違うだろうけど、実はその奥には美しさがあると私は思ってる、私の探究がどこかの誰かの為になったら本当に素晴らしい事だと思う。