私の芸術運動150生き様
生活は日々目まぐるしく変化しているのに、私の芸術運動はゆっくりと進んでゆく、本当にゆーっくりと。
むしろ進む時間が早いから芸術が逆行している様な気さえする、どんどん置いてけぼりを食らって、追いかけても追いつける事もなく、何度も追い抜かれてもう周回遅れの数なんて考えられもしない
そうやってみんなすぐ死んでゆく
私は自分の時間を、悠久の時を生きる
自分のペースで、自分のやるべき事をゆっくりしっかりやって行く
自分の思う、その時が来たら、何の躊躇もなく飛び込める自分を作る
その時なんて来ないことなんてざらにある、むしろ自分から作ってゆくものだと人は言う、それは多分正しい
だけど私にも思うことがある、自分のできる事を全力で今を取り組んでいく事で、それに見合ったことが自分に起こってゆく、自分を過大評価も過小評価もせず、常にフラットに、自分の今できる事をする。
今まで生きてきて、ある日突然に人生がグルン!とうねってひっくり返る様な事を何回か体験してきた、けどそれはいつだって自分の準備ができていることから起こる、金や、技術の準備じゃ無い、心の準備ができたら!と言う意味で。
どんなに金や技術が備わっていても心が怖気付いてちゃ踏み出せない
理想は全てが揃ったら!だろうけど、それじゃー、人生を生きる醍醐味に欠ける
自分にできるのか?
やるか?やらないか?
やりたいか?やりたく無いか?
結局最後は自分がどうするのか?ということだけだと思う
自分の事は棚に上げて言わさせて貰えば
極端は良く無いこと
すごい経営者は過去に莫大な借金を背負っていたという話を聞けば、借金をしようと考える人がいる
身の回りを一流のもので揃えれば自然とお金はついてくると言われれば無理をしてでも金をはたく
あなたはどうしたいのか?
逆算して考える成功論はいわば誰かがそういう人生を歩んだことがあるという結果でしか無い
宝くじで一等を当てた人がいる、宝くじが当たる前、その人は例えば何もせず家に居た人だったとする、自分も一等を当てたいから何もせず家に居よう、みたいなことに近い。
自分の人生を、自分の指針で進んでいこうという気概がなくてその先どうするのか?
成功するまでにたくさんの苦労があったと思うし、楽しいこともあった、誰にもそういう経験はある、成功したから幸せだというのも人による、宝くじが当たったから幸せだというのもその後の生き方一つで大きく変化する
上がったり、落ちたりするきっかけは一瞬で、そこに至るまでとそれからは一朝一夕で成せることじゃない。
だけど、今を全力で頑張った人なら、自分の頑張りに合わせて事が動いて行く
それは世間一般で言う成功という形に見えても、見えなくても、自分を信頼して頑張って来たその積み重ねは自分の中に蓄えられ、性格を抜きにして確実に自信となって身についている。
私も画家だから、絵を描く
その積み重ねが全てであり、それこそが本当に価値のあるものとして自分の中に残る、それによってさらに周りの人達も幸せにできたならそれこそ本当の成功であり、生きる醍醐味と私は思う。
私が思うに芸術は、その人の生き様や思考、思い、を拡張し、他の心に何かしらのアプローチを仕掛ける、きっかけと言っても良い
芸術はそういう高度なコミュニケーションなのだ。