私の芸術運動216消費者
学校に通い卒業して就職して退職して画家になった。
たったこれだけの人生ではあるがこの32年間でたくさんの思い出がある、色んなところへ旅に出たし、恋人もいて、友人も何人かいて、いろんな仕事をして、たくさん絵を描いた、これからもいろんなことがあるだろう。
しかしこれまでのどれか一つでも欠けたら私は寂しいと思う、絵がなかったら私は生きていけなかった、生きる意味が無いから。
だけど、もしかしたら、将来私に残されたのは本当に絵だけ!と言う状況になった時、私は何を思うだろう?
今は色んなことが実はある、日常の中でとにかく色んなことがあるのだ、些細な事だとしても。
それらが全て吹っ飛んで、いよいよ絵だけになった私は何を思うだろう?
幸せだろうか?
私は実は何も無い人間だ、寂しい人間だ
それでも絵があれば生きて行ける、だけどそれは本当の幸いだろうか?
私は最近学生時代の心持ちに帰った様な気分でいる、全て儚く幻の様に過ぎ去っていくそんな気がする。
私はいったいなんなのか?
久々にこんな疑問が自分に湧いてる。
青春時代は何者かになりたかった
今は画家になったが、画家というだけじゃーない、社会で生きていかなきゃならない
自分の体にまとわりついたそういう大人としての教養が、社会人としての在り方が、私にはずいぶん重たく感じる今日この頃、私はここら辺でまた何か新しい自分を見つけることになるんだろうか?
それかただ失っていくだけなのか?
失うほどの何かを得ていたか?
何かを与えられたのだろうか?
私は根っこは消費者だ、何も作り出せていない。
ここら辺で何か