私の芸術運動146ルーザー
前回は人生を宇宙旅行に例えて自分なりに考えていました。
今回は単位を私一人に戻して、この現実を目の前にどうするか?考えて行こうと思います。
早速ですがSNSを休みの日にダラダラと見ていて思ったことがありました、数々の成功者たちの名言を集めた投稿が最近多くタイムラインに流れてきます、これはAIが私のみたいものをピックアップして見せているらしいのですが私は検索したこともない様な内容のものばかりです、何かをきっかけにAIが判断したのでしょう。
そんな成功者たちの言葉には共通しているものがありました、それは時間の使い方です、今やれ!という事、悩んだりしている時間は取り戻せないが失敗はまたやり直すことができるという様な言葉です。
私は間違いは無いなーと感じました、しかし同時に息苦しさを感じたのも確かです。
私は意識低い系の人間ですからね。笑
成功者からしたら敗者みたいなもんでしょう。
問題は、それに感化された敗者が多いということです。笑
私が油絵を描き、エッセイを執筆して、この先好きなところに住み、喫茶店でも営もう、そして併設されたアトリエで絵を描こう、完成した絵は店内に飾ろうと考えているのですが、そういう成功者理論に感化された人達からすれば私は意識の低い敗者のようなものなのでしょう。
金を一気に稼いで、自由気ままに生きたいとそういう人たちはいいます
そういう人たちに今何しているの?と言うと準備!と言います。
月日が経ってSNSに流れてきた投稿には子供ができて結婚しましたという投稿でした、話を聞くとどうやら就職して地に足をつけて生きていこうと思ったらしいのです、それは素晴らしいことです、だけどその人の意識はまだ高いままであり、私の芸術運動についてどこか下に見ている様なそんな言い方をするのです。
私からすれば、どんな人生を送っても意識を高く持つことは重要です、どんな職についても自分なりの全力を持って臨み、意識を高く持って楽しく働く事が大事と感じます。
そういう意識高い系を意識した人の裏には自己肯定感の低さと、プライドの高さと意識の低さを感じることがあります、否定する気はないのに、他人にダメ出しをする、そんな人が案外多いものです。
そういう人が今多いのかもしれません。
パンデミックもあり、経済のあり方もずいぶん変わり、民衆の生活もこれからどんどん変わってくる瀬戸際だと私は感じています。
私はその荒波を自分の芸術で無理せずわたり切って見せようと思っているわけです、無理なら波に飲まれるでしょうけど、泳いででも行ってやるぜ!と感じている。
プライドも高く無く、意識もそこそこの私が、ただ情熱だけで生きていこうということです。笑
身一つで生きていける人間、筆を持たせりゃ絵を描く、そんな人間になりたいのです。
みんなそれぞれでいいわけです、そこに意識低い、高い、勝者、敗者など、どんぐりの背比べみたいなものです、強いていうなら、心を何者にもとらわれない、愛ある自由な者こそと私は思います。