私の芸術運動180忘れられた者達
案外起こることの全ては自分のその時の気分によって大きく左右された結果となる気がするのです。
良い事、悪い事とハッキリ二分する事はできないだろうと、自分にとって悪いと思われる事が他の誰かにとっては良い事であったりして、でも結果的に見れば自分にとって良い事で、相手にとっては裏目に出てしまったこともあるでしょう。
私はなんやかんやでここまで結果的に良かったなーと思うことばかりなんです、あの当時はとても苦しく暗いことでも今の自分から見ると当時それを耐え忍んだ自分に感謝しますし、凄いなと思ったりするものです。私は本当に運が良い、だけど運の貯金もそろそろ尽きる頃なんじゃないかな?と不安に思う。
今までは運が良かっただけ、自分の力で切り抜けたことなんてなかった気がする、いつも何かにしら助けられて生きてきた、これから先自分で切り抜けなくちゃならなくなった時私はどうするんだろう?と考えると心臓がドクドク脈打つ音が聴こえてくる、ずっとなっていたであろう音がやけに耳に響いてくるようになるのは不思議だ。
私のよくないところは私は私の物語を生きている事である、私はこう思う、こうしたい、こうする、私はいつもそうだ、それをなぜか周りの人々に助けてもらってここまで生きてきた、本当に感謝しているけれど、私は、薄情な人間なのか?全てを一期一会と捉えてる、これからも末長くよろしくなんて言えない、フワッと私は消えてしまう、私が過去に個展をして、そこに心血を注いだ絵画を並べたくさんの人に見てもらった時、それを気に入って買ってくれた方々がいたけれど、私はその後を知らない、絵の事は覚えてるハッキリと、今でも手元にないその絵が私の脳裏には焼きついたままなのだ。
私は自分の事を昔からよく考えていた、相手から見れば私のような人間は末長く付き合ってゆくとは思えないし、私自身もそうはできない、人見知りもなく、誰からかまわず喋るし、みんなをフラットに見ているつもりだ、八方美人と言える。
だけど気に入られたくてそうしているわけじゃない、ペラペラと喋るけれど何を喋ったかは覚えていない、思いつきで周りを巻き込んで何かをしても何をしたかおぼえてないし、誰といたかも定かではない、友達と昔話するとよく思う、あんまり記憶ない、自分が学生の頃何組に所属していたかも覚えてない、友達の誕生日も誰のも覚えていない、言って仕舞えば家族の誕生日も覚えていないし、自分の誕生日も気づいたら過ぎてたりする。
私は本当にいろんな事を効率良く忘れている。
だけど、なぜかふと思い出すものもある、その記憶はなぜか周りの人は逆に覚えていない、電車から見えたあの景色とか、友達が落ち込んでいたから何も言わずにただ居酒屋で安酒を無言で飲み交わしたり、あの時海岸で親とはぐれて泣いていた子に話しかけたら親が駆け寄ってきてこちらを睨んできたり、他にもいろんな事を実は覚えてる、だけど答え合わせをすると大抵私は忘れている人間になってしまう。
私の描く絵も同じなんだろうか?
私の心に残ったものは他の人の心から消えてしまったものたちばかりなのかもしれない。
だったやっぱり私は描き続けるしかないなと思う。