コミュニケーション
身体の芯がもぞもぞしてて
たまにドクっと脈打つ
全身の筋肉が緊張して
くすぐったい
だから思いっきり身体に力を入れてみたり
脱力させてみたり
頭もずっと回転している様な気がして
何を考えているのか整理してみようと思ったけど
何も考えてないみたい
じゃー何なんだろ
多分心が何かを言っている
そういえばそんなタイトルの映画があったよね
「心が叫びたがってるんだ」
見てないけどね。
こんな感じで、自分の事でわかっていないことの方が断然多い
言葉はそんな感覚を何となく伝えることはできるけど、自分を理解するには何か物足りない
言語は国によって違い、同じ意味合いでも表現や感覚的に随分違いがある様に思う
外国語を覚えたからその国のことがわかる様になるわけではないのと同じ
言葉は生きていくため
結局は言葉を超えた理解が必要なんだろう
そんな壁を一目で越えるものがある、言葉にはならなくてももしかしたらそれは言葉以上に流暢に話しているのかもしれない
言葉にはならないけれど、心がそれを知る様に
芸術はかなり高度なコミュニケーションであり
言葉と同じで武器にもなり得るということ
精神的な対話の元に創られるべきだと僕は思う
上手いとか、下手とか
そういうことじゃない
上手い方が伝わりやすいとは思う
きっとそっちの方が親切なコミュニケーションだろうね
親切すぎると、その親切に埋もれて芸術から離れていってしまうこともあると思う
ぶっきらぼうなら、伝わりづらいかもしれない
だけど繕うことなく発したそのコミュニケーションは生々しい傷口の様な精神を感じさせるかもしれない
結局は言葉を超えたところで見つける言葉にならない何かがそこに居るのかどうかが芸術にとって、延いては人間にとっては大切なことに思う
愛のない、愛してる
感謝のない、ありがとう
心配もしてない、大丈夫?
その言葉の裏にあるものによってその言葉の意味が随分変わってくる
言葉はあくまでも言葉であり
本当に大切なのは話せることじゃない
その人の奥、心の方にある
僕のやりたい芸術とはそういうところから発せられるものでなくちゃ意味がない
自分で直に見て、感じた、物事じゃなくちゃいけないと思う
芸術は嘘だけど、真実よりもより真実な嘘でなくちゃ
そしてその嘘の裏にある真実を見るには、その芸術家に近い真実を知っていたり、興味を惹かれる何かが無ければ
入り口は、「何だこれ」「嬉しい」「気持ちいい」「美しい」「怖い」「イラつく」からでもいいと思う
何で、自分がそれに対してそう思ったかを掘り下げて考えることは、自分を知る事や、その作家を知る事に繋がると思うし
まさにそれこそ言葉を超えた高度なコミュニケーションだと思う
これはあくまで心の中で起きたコミュニケーションであり、口にしなければ誰にも知れることはない、言葉の無いコミュニケーション
作家にも知らない、見た人の心の中にだけその真実がある
もしかしたら鑑賞者自身も
芸術家自身も知らない、気付かないことなのかもしれない
ここに僕はロマンを感じる。
芸術に答え合わせを求めること、言葉でそれを枠にはめてしまうことは真実よりも真実な嘘を、ただの嘘に変えてしまったりするのかもしれないね
自分の描いた絵なのだから僕の心のコミュニケーションの事
それに対して卑屈になったりする必要は本当はないのに、そうさせるのは僕の欲に毒されたということになるのか💁♂️
明日から9月、僕の個展まであと一ヶ月
たくさんの方に見に来てもらいたいです
僕の絵画を是非、よろしくお願いします
見て感じて聴いてください、そしたらコミュニケーションが始まります🙏
2019.10.07〜2019.10.12
銀座一丁目ギャラリーSOLにて
飯田大輝「醒め方を知らない夢」展
ご連絡くれた方々には明日から順次案内ハガキを送り始めます、よろしくお願いします😊
ハガキが無くてももちろん無料で誰でも入れます
ましてや敷居の高さなんてありもしないです
そして今年、二科展に入選した作品も展示いたします、よろしくお願いします、心から🙏
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