私の芸術運動138土地色
最近、土地というものになぜか意識が向かいます。
絵を描くにしても、その土地から湧き上がるエネルギーの様なものが自然や人やその上で起こる様々な事に影響を与えている様な、そんなきがする。
私はコロナ前から一人でいろんなところに旅に出ました、月に一回くらいのペースでぶらり日本国内、海外も少々、その時の感覚がふと何かを見た時にフラッシュバックします。
ああ、この空はあの時のあの空みたいだな
この風はあの時あの場所で吹かれた風みたいだな
この香りはあの時嗅いだ香りに似ている
この景色、どこかで昔見た様な
そうやって思い出されるという事はその土地での空気感に似ていたわけです、つまりその土地の色というものがあるわけです。
海外に出ればもっとわかります、木一本見たってやはり異国なのです、日本に来ればやはり日本のエネルギーに満ちています。
そんな日本国内でもそれぞれの色があるという事です。
私は今東京に居ますが、私の肌に合うのは東京の中でも台東区です、しかし最近、他県の土地に住むのもいいなぁーと漠然と思っています。
例えば来年にでもどこかに移住したとしても、それが私の骨を埋める土地とは言えません、もっと自由に好きなところに住んで、好きな絵を描いて、好きな人と生きてゆきたいものです。
人生という尺度で見れば、もっと自由に生きていくべきです、自分の事を自分でしっかりする、自分の人生を自分で決めて自分で生きる、これが最近は特に大切になってきた様な気がします、お金が無きゃ!と思うかもしれませんが、お金によって自分の人生が左右されてしまうのもつまらないものです。
本当にあの紙に、硬貨に、人間の人生を強制する力があるのでしょうか?
集団でそう思い込んでいるだけで、実は誰かがお金をせしめるためのものなのかもしれない、お金🟰自由、権力、という構図を作りたかった人が過去にいたのでしょうね。
芸術家の私はそういうものをほぐしながら生きている人々の意識をもう少し自由に解き放ってゆけたらと思います。
日常に埋もれたものの一つが芸術ではあまりに不憫です、生きるエネルギーとしてあるべきと私はずっと考えているのです。