私の芸術運動113識閾
私の芸術の正体とは普通の中にあります
私達の生活の日々の中で毎日がドラマティックにロマンチックに映画のようにことが進んでゆくわけじゃありません、もっと緩やかにじんわりとです、むしろ普通の代わり映えしない日常とも思えるような感じです。
日常生活での何気ないふとした瞬間にインスピレーションが沸き起こります、私はこれを昔絵画として表現したことがあります、「識閾」というタイトルの油絵です
私はこの普通の中に無限の可能性を見ます
自分の表面的な心象の変化でその普通というものは大きく姿形を変えます
寂しい時は普通の坦々と進んでいく事に耐えられないでしょう
楽しいときは普通の瞬間も楽しいでしょう
辛い時は何もかもが嫌になるでしょう
嬉しい時は普通の中で満たされるでしょう
人間は同じ普通の生活の中でも自分の思い一つで時間感覚や、重力なんかを感覚的に引き伸ばしたり縮小したり、緩和したり助長したりできる気がします、これはあくまでも感覚的な話なのですが、私は絵を描いていてこの矛盾を思います。
むしろ絵を描く前から、物心ついた頃から今感じているこの感情を心に抱いていたように思います、それが今の私に芸術のインスピレーションとして識閾から湧き出てくるわけです
時間なんてお構いなしに、時系列もバラバラに、ひょいと識閾を飛び越えて私の元に来ます
なんでこんなことを今思い出したんだろう?なんでこんな事を覚えていたんだろう?
識閾を出たその可能性は絵画へと昇華される事で一つの独立したエネルギーへと変換されます、絵画にはそういう力がある反面、ものであるが故に簡単に消え去ることもあります
人の心に残らなければ消えてゆくわけです。
とてもか弱い繊細なものですが、それの持つ可能性は無限です
私の売れない絵画にもお金以上に無限の可能性や価値があるわけです、それと反対の事も同じように言えます。
そんな儚い無限なものだからこそ、芸術には世界を変える力があると言えます。