私の芸術運動287最善

最近また若い頃のような無謀なことを考え始めている気がする。

やけにロマンを求めたり、ワクワクドキドキしたり、不安を隠して自分のなりの最善をぶつけていこうとする気持ち、不安な事をマイナスに捉えずむしろ自然に察知して自分なりにそれをクリアしていこうとする姿勢。

それらをやって結果がついてこなければそれは仕方のない事だと受け入れる覚悟、その次どうするかをまた考えるだけのことだというエネルギーが私の中にはあります。

しかしそのエネルギーが滞留してどこに向かえばいいのか?と渦を巻いている内に霧散していくような不安もあります。

しかしそれら全てひっくるめて今の私の最善だったというだけのことでしょう。

私が何を言ってるのか?というと、それは、私のこれからの夢の話です。

私は二十代の中頃にいきなり画家へ転身しました、あの頃の決断を振り返るとなかなかリスキーなものでした、翌月からどうやって生きていくのか?さえ決まっていなかった、お金が入る保証なんて無かったしもはや入らないことの方が当然と思えるような状況で私はなぜか決断したのです。あの時あの決断ができなければ今もできないままに霧散し切っていたでしょうね。

しかしそれに見合った結果は何も得られなかった、というよりもむしろ画家として生計が立つわけもなく、夢は現実的に実現しなかったわけです。笑

しかし今も継続して絵を描いています、というか描けています、あの頃とは違う環境下で、収入を得ながらもなんとか絵を続けて10年になろうとしています。10年近くもやって絵で結果が出なかったのだからそろそろ潮時か?と思うのが普通なのかもしれませんが私はここまでやってこられたのなら私はまだまだいけるなと思っているわけです。

むしろ他にやりたかったことと絡めていこうと考えています。

それはビジネスとして考えているには無謀であり、むしろ趣味の延長に近いのです。それは、アトリエ兼喫茶店です。

喫茶店のインテリアとしてイーゼルや絵の具や完成した絵を飾りますし、描きかけの絵もイーゼルに掛けて、むしろ手があけばそのまま絵を描き進められる環境、喫茶店の壁に絵をかけ、時にはギャラリーとして貸し出しもしたいです。

だけど、これが、私の到達地点でしょうか?

人生がそれだけで終わっていくものとは到底思えません。笑

私の想像できなかったところの人生の実がなるような気がします。

それこそ冒頭で話したロマンという奴です。

絵を描きながら、気づけば色んなところへ出て行って絵のモチーフを探す旅に出て、本を読んだり、珈琲を飲んだり、散歩に出たり、飛行機に乗ったり、車で知らない土地を渡って行ったり、船に乗ったり、とにかくなにがどうなるか?わからないようなところにロマンという実がなってそれが私の人生となっていくようなそんな気がするのです。

そんなのはビジネスを舐めていると言われてしまうかもしれませんが、私はそこに価値を感じると言ったら変ですが、それが普通にできる環境を作りたいと考えているんです。

こうでなくてはならないなんてことはないんじゃないか、そんなのは息が詰まりそう。

私が思う事をその時々で最善を尽くすから、その時の自分に任せて今の私は今に最善を尽くす。

むしろ今しかできないことは今やるべきなんだと思う。

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