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私の芸術運動49黄金世代

誰の心の中にも黄金世代というものがあって、例えば私にとっては1920年代のパリあたりだろうか

自分の生きていない時代に想いを馳せる懐古主義、しかしなんと言っても今自分が生きているこの時代しか私には用意されていない。

仮に自分が黄金世代に生まれていたとしたら、今以上の絵が描けた?とでもいうのか?いやそんなことはない

自分が絵を描くと決めたのは今この時代だからである。

他人を見て生きていく人生もそれなりに辛い

だけど知りもしない過去に憧れて生きていくのも同様に辛いことと思う。

最近強烈に思っている事がある

それは、芸術は何のためにあるのか?という事だ

長谷川利行という私が好きな画家がこんな事を言っている

「絵を描くという事は生きることに値するが、生きる事は絵を描くことに値するか?」

私はこの言葉に心をやられてしまった、ついつい芸術をやるとなると、誰かを救いたいとか、誰かに希望を与えたいとか、とにかく何かの為という動機を求められる様な気がする。

実際何のために絵を描いているのか?と何度も私自身問いかけられた経験がある

そんな時、私は内心圧倒的に自分の心のためであるのに、それプラス誰かの心の支えになりたいとか、何々を訴えたい、という様な事を言ってしまった気がする

芸術は自分の心を開くためであり、世界の見方を追求する方法であり、なおかつ、その中心には自分というものが居る

つまり森羅万象、全宇宙の中に飯田大輝という画家がここに居る!!という事を私は真っ白なキャンバスに筆を使って問いかけているわけだ。

そんな事を自分の命を通して途方もない無限の中、何度も何度も繰り返しできた様に感じる。

ガートルード・スタインという美術評論家はこう言ってもいる

「芸術家の仕事は、絶望に屈服するのではなく、存在の虚しさへの解毒剤を見つけることなのよ」

私が芸術を志していなければ無限の中で孤独に絶望していた様な気がする

これから先の未来、油絵という芸術が生き残っていけるのか?はわからないが、私はこの時代において画家として油絵を使い絵を描いていることに誇りを思う

何度も自分の人生の行先を案じてもやはりこれ以外にないと本気で思っている

絵を描く事と生きる事を天秤にかけると絵を描く事の方が重たいと思う

これは、周りの人にどうこう言われたりして決まるもんじゃない

自分の芸術は自分にしかできない

だから

どんと胸を張って「わが芸術こそ!!」と思って生きていけば良いのである。

これから先数々の駄作が積み上がってもその中で何枚か?一枚でも良い、これこそ!!と思う絵が描ければそれが一番良い事なんだ

私の黄金世代はまさに今なのだ!

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