私の芸術運動144散りばめられた夢
今自分が置かれた環境で、環境に左右されずに自分のやるべき仕事を全力でこなせたならそれで充分だと私は思います。
これはどんな事にも通じます、趣味でも遊びでも、もちろん仕事でも、人間ですからどうしても気分が乗らなかったりすることもあるでしょう、だけどそれに負けてしまうと、サボってしまった自分に言い訳が出来ないのです、つまり、自分から責められることとなります、これは性格で個人差があると思います、そうじゃないからダメということもありません。
ただ自分に示しがつかなくなるだけのことです。
私はこれから先の未来で夢とまではいかないまでも、こういう人生の一コマを過ごしたいなという断片的な夢がいくつかあります。
例えば雨の日のパリで、傘が無くてカフェに入り外を眺めながらゆっくり珈琲を飲みたいな、とか!笑
建物も何も無い開けた大地の真ん中に一本、地平線まで伸びる道をただ歩いていくとか!笑
新緑の森をただ歩きたいな、とか!笑
頭の中にわりかし鮮明にいろんなイメージが湧いてきます。
他にも、どこか、のどかな町の片隅で自分が営む喫茶店で毎日珈琲を入れながら、奥にあるアトリエで大きな窓から入る柔らかい光の中で絵を描き、絵の納期で受け取りに来た画商が表のカウンターで珈琲を飲みながら私の絵を待っていて仕切りに時間を気にしているのを横目に少し外を散歩しないか?と誘って外へ出る
川が流れ、遠くに山が見える、急かされても描けない性分のわたしにはそういう隙間の時間が大切で、これこそが仕上げた絵画よりもある意味で私にとって重要なものの様に思える。
そうして仕上げてきた作品の数々とそのモチーフの出会いや完成に至るまでの心の機微を綴った文章が画文集として本になり、私はその画文集を自分の営む喫茶店の本棚に忍ばせる、誰も私がその絵を描いた画家ということは知らずに珈琲を飲みに来るわけだ。
中にはどこかで話をかぎつけた人が店先に入ってくるとすぐわかる、私の画集を持って入り口に立って店内を見渡し、私と目が合うと軽く会釈したりする、私も「いらっしゃいませ」と言って席に通して注文を聞く。
そんなたわいも無い夢が私には星の様に散らばり輝いています。
結局のところ私も誰かに認められたいのでしょう、しかし、もしそうならなくても私は不幸だとは感じません
なぜなら冒頭で書いた通り、環境に左右されずに自分の仕事を全力でやるだけだからです。
その積み重ねなんだろうなと私は思うのです。