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【視力2.0 原稿】#4 「近視」は実は「能力」だった!

 さて2月に出版予定の拙著「視力2.0(仮題)」でカットされた原稿に、近視は実は進化だった、という項目があります。ここはカットしないで欲しかったなあ、と思うのですが、話が複雑になるのでしょうがないですね。何せ本書は「目が良くなる本」、として販売するわけですから。

 普通、近視の人は、自分は目が悪い、と思って生活しています。視力検査で下の方の小さなC(ランドルト環)が見えないため、学生の頃から「自分は目が悪いんだ」と刷り込まれるからです。でも、一般的な視力測定は、遠くのものが見えるかどうか、すなわち「遠見視力」なのです。

 これは現代社会では、実はあまり必要ありません。もちろん車の運転とかスポーツ選手では必要な能力ですが、どちらも生活に支障が出るわけではないですね。運転できなくても電車やバスに乗ればいいし、職業がスポーツ、という人は限られた人だけです。

 近くの方が見えやすい近視の方は、情報処理に長けています。現代社会では、実は近視の方が優れているのではないか、という意見は、ちょっと意外性がありすぎて、一般的な感覚としては受け入れられないかもしれません。

原稿は以下です。
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・近視は適応進化である
近視が広がっている、それが社会問題になっている、と本書で述べていますが、近視人口が拡大したのは、それがこれまで「生存に有利だった」、ということもできます。

 現代社会では、人類がサバンナで暮らしていたころに必須だった能力、すなわち遠くの獲物を探したり捕食者をいち早く見つけて逃げたりという遠見視力の能力は、もう必要ありません。

 それよりも、工業化社会以降では、近視の能力である「目の前の情報に集中できる」というのが生存に有利だったのです。近年でいえば受験勉強や、パソコンスキル、情報を素早く大量に処理できる能力の需要が高かった、ということです。そういった能力を身に着けた人は社会から需要があり、仕事が見つかり収入が高く、家庭を築いて豊かにに暮らせたのが、この数十年の傾向だった、ということなのです。

 すなわち、近視は適応進化ともいえるのです。近くをずっと見ていると毛様体筋が常にがんばらなければいけないので、それなら眼軸を伸ばしてしまおう、そうすれば毛様体筋は楽だ!となって目が変形したのです。

 しかしこれからの時代はどうでしょうか?本章でも述べましたが、人間の脳や情報処理能力はコンピューターには勝てません。それに応じて人の仕事内容も変わり、次の数十年に有利に人生を進めることができるかは、まだわかりません。

 子供のころから屋外活動をせずに室内でたくさん勉強したけれど、いざ大人になって世界に出たら、遠くが見えにくくて不便、仕事もコンピューターに勝てない、将来の眼疾患の可能性もある、という状態では、なかなか暮らしにくいと思います。

 私が考える近視対策のあり方は、若年層にはもっと外で遊んでほしい、もっと自由に運動できるようにしたい、ということです。社会人の方々には、無理な仕事環境や、ストレス、近業作業を強いられるケースを減らしたい、ということです。中年以降は、食事に気を使い、将来の生活習慣病リスクを減らしてほしい、ということです。

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 日本人の大半である、近視の皆さん、視力検査の成績が悪くても、あまり気にすることはないです。それはみなさんの「能力」なのです!

 裸眼視力2.0の私は、近くも遠くもよく見えますが、近業を長時間続けるのは、眼の中にある「毛様体筋」が疲れてくるので、ちょっと辛いのです。

 では、どうやって博士号を取得し、科学者になったのか?本noteではその辺りもシェアしていければと思います。お楽しみに!

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