バイバイ、ブラックバード

僕が最も好きな作家は伊坂幸太郎さんである。
最近伊坂さんの本をすべて読み返そうキャンペーンを実施中。

そんな中昔から好きだった作品の一つが、「バイバイ、ブラックバード」である。(以下ネタバレあり)

単純に好きだからという理由で5人の女性と平行して交際している星野くんと、190cm,200kgという規格外の大きさで、ちょっと変わった辞書を持ち歩き、傍若無人な振る舞いをする繭美ちゃんの2人の視点で描かれる。星野くんが借金の末とんでもない場所に連れて行かれる前に、二人が5人の女性に会いに行くというストーリー。

星野くんは、幼ながらに両親を亡くした悲しみから、突然いなくなると彼女たちが悲しむだろうという、お人好しなのか、自己満足なのかどちらともとれる理由から彼女たちの元を訪れる。

星野くんは天性のチャラ男というわけではなく、描かれる女性との出会いはすべて一癖ある出会いである。その中でも僕が好きなのは、とある病院の診察台で点滴をしているシーンである。たまたま訪れた耳鼻科が、過去に交際した女性の母親が院長の病院であり、点滴をされている際に、「そうか!、どうしよう、どうしよう」と狼狽えているところを、隣の診察室にいたフェルミ推定が得意な女性が声をかける場面である。少し考えればわかるようなことを、深読みせずまっすぐ感じて解釈する純粋さとでもいうだろうか。繭美ちゃんがこう述べている、「子供のサッカーを見たことがあるか?遊びでやってるやつだ。システムなんてあるわけない。ボールが転がりゃ、それこを十人と十人がみんな、わあ、っと追いかける。また反対側にボールが蹴られれば、また、わあっ、と走っていく。お前もそれと同じだよ。」と。とてもわかり易い説明である、笑。

繭美ちゃんは、自分に不都合な内容は黒く塗りつぶした辞書も持ち歩く、自称ハーフで金髪の女性だ。謎の組織に雇われており、借金で首が回らなくなった星野ちゃんを、得体の知れない場所に連れて行くための案内人という設定。巨体の割にはハリウッドさながらの戦闘劇を演じられるだけの、動ける巨漢だ。普段は人を傷つけ、貶めるような言葉を好んで使用し、人の不幸を肥やしに生きている。しかし、物語を追うごとに、星野くんに影響されたのか、人間味のある描写も増えてくる。最後のシーンなんて、繭美ちゃんの「キック」によって、その後のストーリーを読者たちに存分に想像させてくれるような、終わりであり始まりでもあるエンディングである。

そんな二人が会いに行く女性5人は、皆個性的で、現実世界にいればとても魅力的であろう5人である。これは小説の中では女性だが、男性であっても素敵だと思うひとである。

中でも好きなのは、4人目の神田那美子である。神田那美子はフェルミ推定が得意で、数字をみると日本語に翻訳して一喜一憂する理系な女性である。理不尽なことがあるとき、怒りよりも悲しみを溢れさせる人、と表現されている。そんな彼女が病の可能性があり、最後に病院の待合室にいるシーン。「115」の数字を見て微笑む彼女は、なんと穏やかで美しいのだろう。日々様々なことがあるこの世界で、神田さんのように、一喜一憂しながらも、静かな心で立ちはだかることに接したいと、そう思わせてくれる。泰然自若とはまた違うけれど、自分なりの解釈の元ありのままを受け入れる姿は美しい。

ストーリーとして一番好きなのは有須睦子の5話目である。有須睦子は、絶世の美女である女優である。役を演じ、本心を隠さざるを得ないため、自分の本当の気持ちがわからず、表情や気持ちにはいつも鎧のようなものが被さっている。そんな彼女の心を知らず知らずうちにほぐしているのが星野くんだ。磁場産業、村田兆治、パンになりたいという夢。自分の鎧の下の本心を、意図せず拾い上げてくれる、そんな星野くんはやはり素敵である。人と人には目に見えない相性がきっとあって、全く合わないと思った鍵穴にびたっとはまり、世界が開けるような、そんな感覚ってあると思う。星野くんが、その鍵穴をあっけらかんとして開いていく様は、見ていて清々しく、救われるような気になる。なにかしようとするのでなくて、ただありのままの自分でいるだけで良いのだ、と思わせてくれる安心感とでもいうだろうか。おいしいパンにはなれなかったけれど、星野くんが星野くんでよかった。

全話書き出したら止まらないほど、好きなシーンがあるが、今はこれくらいにしておこうかな。

巻末の対談で伊坂さんが言っていることがある。「選ぶのがその人の技術というか、感性というか。どこを残し、どこを削るかにセンスや個性が出る。おもしろいあらすじを思いつくだけなら誰にでもできるし、それをそのまま文章化するのも難しくないですよね。あらすじも大事なんでしょうけど、どうやって語るのか、そこからどうやって削るかということは大事にしたいんですよ」。あらすじもさることながら、伊坂さんの小説は、私見だけれど、僕たち読者に想像させてくれる余地や空白が多い気がする。ハッピーエンドでもバッドエンドでも、どちらにも繋げることのできるような終わり方。どちらを想定するかはその人の性格にもよるんだろうけど、僕は比較的ハッピーなその先を想像してしまう。想像して心がほわっとして、生きててよかったなあ、って思って、幸せどこからか溢れてくる感じ。削られた部分を、僕らに埋めさせてくれるのは、まるでライブで観客にフレーズを歌わせてくれるアーティストのよう。読書だけれども、どこかライブを見ているような臨場感を味あわせてくれる、そんな伊坂さんの小説に日々支えられ、満ち足りた気持ちで、今日も過ぎてゆく。