昔の旅の話②
関西から出発して二日目の夕方。仙台に無事たどり着いた。直前に予約したゲストハウス欅に向かった。そこはゲストハウスによくある形態で、路面に面したテーブルが出ていて、一階部分はバー兼ゲストがくつろぐ場所になっていた。
僕は一人旅の際にはゲストハウスによく泊まる。ゲストハウスそれぞれにとても個性があり、その空間にいるだけでワクワクするし、なにより集まる人達が普段の生活では話すことがないような人たちもたくさんいる。みんな旅の途中であることが多いから、お互いに他のシチュエーションであればきっと存在するであろう壁を感じることなく、フラットな立場で話し合える。自分の知らない世界のことをたくさん知ることができるし、お互いのインスピレーションが一致すれば、相乗効果のように、いろいろなことを一緒にやってみよう!と夢が膨らんでいく。
欅では、公認会計士のお兄さん、夏になれば毎年沖縄にサトウキビを借りに行くお兄さん、大学生と意気投合し、牛タンを始め夜遅くまで飲み明かした。サトウキビのお兄さんには、後々ミャンマーに一緒にいかないか?と誘われたのだが、部活の関係で行けなかったことがとても心残りである。そんなこんなで、岩手まで青春18きっぷで行き、中尊寺まで行ってひとりでわんこそばを食べたり、松島にいってみたりした。その後は群馬で農業を数日経験させてもらったり、と偶発的なことが盛りだくさんであった。
そこで初めてビーツという野菜の存在を知った。自分で収穫をさせてもらうとやはり親近感が湧くもので、以後八百屋などでビーツを見るともれなく買ってしまう病に駆られている。
その後、行ったことがなかった伊豆や湘南、江ノ島のあたりまで電車(すべてヒッチハイクだと時間が足りなくなってしまいそうだったので・・)で移動。スラムダンクで有名な踏切で感慨にふけったり、夕暮れの湘南で、サーファーたちがあまた波を楽しんでいるのを眺めながらハンバーガーを食らったりした。
僕は海が好きだ。僕の実家が山の上のほうにあり海がよく見えていたのでなじみがあるからなのかはわからないが、遠くの海をよく眺めていた記憶がある。海は絶えず波のうごきがあり、船なんかが通過する情景は見ていてとても心が落ち着く。光の反射で宝石のように光る水面は、朝と夕で表情が変わり、いつみても異なる表情でこちらを見つめてくれる。そんな海をぼーっと眺めたり、時には水面になにかを投影するかのように思案に明け暮れたり、僕の人生に海は欠かせない存在である。いつか住む家は海が見える家がいいなあと、ほんのり考えている。ちょうどコクリコ坂の松崎海が住んでいるような家がいい。とてもいい。
旅の終わりが近づき、熱海から新幹線に乗り家路についた。旅では様々なひとたちに出会ったが、すべてが僕の血となり肉となっていると感じる。
あの日思い立ったヒッチハイクの旅が、様々なひとの優しさや思考に触れる機会に繋がり、自分のなかで、『後先考えずにチャレンジしてみる』という考え方が生まれた貴重な経験であった。
その後も和歌山一周や、九州でヒッチハイクなどしたが、様々な方々にお世話になった。僕も今や社会人になった。ヒッチハイクをしている人を見かけたら、そのひとたちの人生の一部に、僕も登場できたら嬉しいなとか思ったりする。
最近はコロナ禍で海外もとい、国内旅行ですら大手を振っては行けない状況が続いている。普段なら一人で飲みに行き、知らない人とフレッシュな会話を楽しんでいるのだがそれすら叶わない。
新しい人との交流の場を増やしづらいこの状況でもできることはなんだろう。そもそも知らない人と知り合いたいのは、自分のまだ知らぬ生田数多のものごとに対する知的好奇心がゆえであるので、それを満たす方法を考えるのがよいのかと考え、本を読み漁る生活をしているが、やっぱり面と向かった、ひととひととの対話ってのがないと、つまらないよなあ。
こんな時代だからこそ、みんながいがみ合うことなく、心の通じ合いを大切にしてこの状況を乗り越えれればなあ、と思う今日このごろ。