昔の旅のはなし ①
長い高速道路の先にその街はあった。
大学生の頃、部活三昧だった僕は、基本的に夏休みを含めた長期休暇にもバスケットボールに勤しんでいたため、旅行に行くことはあまりなかった。大学生活は6年間あったが、キャプテンなどを任せてもらってたこともあり、休み期間もメニューを考えたり、バイトをしたりと身近な生活圏内で、僕の日常は回っていた。
5年生の夏、なんでそんなことを思ったか思い出せないが、突如として、『旅に出よう』と思い立った。夏の大会が終わった後、僕はそそくさと荷物をまとめ始めた。今回の旅のために買っておいたkarrimorのみずいろのバックパックのポケットを1つずついっぱいになるまで満たしていった。
今回の旅のメインは『ヒッチハイク』。目的地は仙台にした。僕は関西在住なので、東北はなかなか時間的にも、距離的にも遠く訪れたことがなかったのだが、どうせ行くなら、遠くて、ちょっと行くのが難しそうで、僕の好きな伊坂幸太郎がよく本に描く仙台に行ってみたいと思った。
そもそも仙台に行くのはもとい、ヒッチハイク自体が初めてだった僕は、ネットでヒッチハイクの仕方を必死に調べ、マルマンのスケッチブックに目的地を書き込んでいくことにした。
旅立ちの前日は、不安と興奮と、なぜか自分が大きくなったような錯覚に包まれながら夢の中に潜り込んだ。
当日。日数の期限は部活が始まるまでの3週間。
karrimorのバックパックを背負って、高速道路の入口付近でスケッチブックを掲げた。
2時間経過。やはりヒッチハイクなんぞ難しいのか、仙台まではスカイマークに乗るべきか・・・など考え始めていたところ1台目の車が止まってくれた。黒塗りのバン、見るからにすこし身構えてしまうようなお車だったが、親切な人達で無事奈良までたどり着いた。
そこからは、流れるように色々な人にお世話になった。1日目にはベンツGクラスに乗る社長さん、修学旅行中の女子大生たち、トラックの運転手の方、自衛隊員、家族連れ、リニアモーターを建設している方、営業マン、ご夫婦旅行中の方、様々なひとにお世話になった。
特に心に残っているのは、トラックの運転手さん。『おーい!!』遠くから呼ぶその声は、サービスエリアの入り口近くにあるトラックの列の中から聞こえてきた。今では大分厳しくなりヒッチハイカーを乗せることは禁止されていることが大半であるにも関わらず、2時間もサービスエリアで声をかけては断られている僕をみかねたトラックの運転手さんが声をかけてくれたのだった。
「今は厳しいから本当に内緒やで」、そう言いながら40代くらいのお兄さんは乗せてくれた。トラックに乗るのなんて初体験で、座席に到達するのがまず一苦労。一段目が高い、股が割れるかと思うほどだった記憶がある。
トラックが動き始め、お兄さんは色々話をしてくれた。
「俺が子供の頃はなあ、親から一切小遣いなんかもらったこともなかったんや。やから自分でバイトして金稼いでたんや、その分自分が好きなように使えたてな。鉛筆買うのも自分でこうててな、けどそれはそれで楽しかったんや。今の子はなんでも与えてもらってるけどな、自分の力で得ることは大切なことやと思うんや。」、内容だけ聞くと自分語りのような話だが、お兄さんの話し方は、どっしりしていて穏やかで、静かに芯を秘めているように感じた。
お兄さんはこう続けた。「高速で勢いよく飛ばしていく車とかよお見えるやろ。トラック乗ってるとなあ、視線が高いからそういう車が飛ばして、抜かしていいってもそのうち渋滞に捕まったりしてるのが遠くの方に見えたりするんやな。それ見てていつも、なにごともその場限りで考えるんやなくて、大枠で捉えて俯瞰してに見なあかんなあ、って思い知らされるんや笑」と。
なぜかこのお兄さんの言葉が声のトーンまで頭に残っている。その時の僕にはとても胸に響く内容だったのだろう。なにがそんなに響いたのかはわからないが、お兄さんの人柄に惹かれたのは間違えなかった。
そんなこんなで一日目は御殿場のサービスエリアまで皆様に運んで頂き、夜を明かした。
つづく。