アルメニアの首都「エレバン」はどんな所?簡単な歴史まで紹介しておくよ!
アルメニアの首都は「エレバン(Yerevan)」と呼ばれます。
エレバンはアルメニアの首都であり国内では最大の人口を誇る都市です。
しかし、最大の人口とは言っても、面積は223㎢で、東京23区を三等分した面積以下の規模しかありません。
その小さな都市にアルメニアの人口のおよそ1/3〜1/2程度の人々が住んでいると言われるんです。
また、エレバンの中心部(現地ではスモールセンターと呼ばれる)は、円を描くようなデザインになっていて、とてもコンパクトなのが特徴。
大人であれば、スモールセンターの一番上端から下端、そして左端から右端まで、歩いても30分から40分もあれば行ける程度のサイズなんです。
そんなエレバンはまた、「ピンクの街」と呼ばれます。
これは、エレバンにある多くの建物がピンク色の花崗岩で作られているからなんです。
とくかく、エレバンはアルメニアに空路で訪れる人はほぼ確実に最初に訪れる街で、ピンクっぽいカラーの街並みで皆さんを迎え入れてくれます。
エレバンの歴史を簡単に紹介!
ここからはエレバンの歴史に関して簡潔に、少しだけ紹介しておきましょう。
エレバンはかつてこの地に存在した王国「ウラルトゥ」の王「アルギシュティ1世」によって、紀元前782世紀ごろに建てられた「エレブニ(Erebuni)」という街に起源を持つとされます。
その頃から数えると「3000年弱の長い歴史を持つ古い都市」であると言われるんです。
ただ、僕の意見として、
アルメニアという国自体はずっと独立して存在してきたわけではなく、エレブニもまた長い歴史の中ではペルシャやアラブの勢力下に入ったり、オスマン帝国やソ連の一部になったりしてきたため、常にアルメニアまたはアルメニア人にとっての中心的な都市であったわけではなかった。
という点は強調しておきます。
例えば、歴史の中で存在したアルメニア王国の1つ「バグラトゥニ朝アルメニア」の首都は、西暦961年から1045年までの間、「アニ(※現在はトルコ領に含まれる)」と呼ばれる古都に置かれていました。
(現在のトルコ領内にあるアニの遺跡)
エレバンが再びアルメニア人の首都となったのは比較的最近のことです。
具体的にはロシア帝国の崩壊を導いたロシア革命後の1918年のことで、これ以降、アルメニア第一共和国、ソ連時代のアルメニア・ソビエト社会主義共和国、現在のアルメニア共和国において、首都であり続けてきました。
エレバンの名前の起源
ちなみに、エレバンという名前の起源については諸説あります。
1. エレバンの前身と言われる古代都市「エレブニ」から派生した
2. 紀元前212年〜紀元前200年までアルメニアの王として君臨した「イェレヴァンド4世(オロンテス4世)」に由来する
といった説です。
エレバンに来たい方は、色々とアドバイスも出来ると思うので必要であればご連絡ください(Twitterですhttps://twitter.com/hirokionfire)。