(仮訳)「日本憎し」から「日本人憎し」へ:日本人の子供の死が警告するもの
中国のメジャーなSNSであるWeChatにおいて、今般発生した日本人児童殺害について述べている記事を見つけたので仮訳して紹介します。
(以下、仮訳)
9月18日、深セン日本人学校の児童が刺殺されるという事件が発生し、世間の注目を集めただけでなく、憂慮すべき「反日」感情が露わになった。多くの人は、この「反日」現象をネット上の扇動によるものとしているが、よく考えてみれば、問題の根源は中国における国民教育、特に大きく偏った愛国教育こそが根源であることが分かる。
一部の中国人の「反日」感情が、一般的な「日本の全てが憎い」といった心理へと向かうという不愉快な現実を認識しなければならない。この心理はもはや歴史的な憎悪にとどまらず、日本に関わるものすべてに敵意を向けるようになり、とうとう罪のない子供たちにまで及んでしまった。子供たちは何よりもまず人間であり、国家や民族の象徴ではない。罪のない子供たちの悲劇を歴史的な憎悪へと結びつける人々は、本質的には「非人間的」な行動を取っているのである。 こういった偏狭なナショナリズムは、人間の本性に反するだけでなく、我々が努力して築き上げようとしている社会主義の核心的価値観にも反するものだ。
ここで我々はなぜこのような歪んだ民族感情が存在するのかを考えなければならない。表面的には、インターネットが憎悪の感情を広げる温床となっていることは確実であるが、根本的な原因は、わが国の長年にわたる義務教育と政府のプロパガンダモデルの深刻な欠陥にある。わが国の愛国教育は、歴史的憎悪に重点を置くあまり、愛国心を外国人排斥と同列視し、人類の未来共同体という意識を育むことを怠っている。 この教育の偏りは、一部の国民の価値観を歪に肥大化させることとなり、「憎しみ」こそが愛国を表現する安易な手段と成り果ててしまった。
この誤った「愛国主義」教育は、学生たちの世界観を狭量なものとしてしまっている。複雑な国際関係を「我々」と「彼ら」という二元論に単純化し、歴史上の悲劇を永続的な憎悪へと変えてしまっている。これは、将来の国家の発展にとって有害であるだけでなく、愛国主義の真の精神を曲解し冒涜するものである。
この「敵」という心理の蔓延は、我が国の市民としての素養と理性的思考能力の欠如を反映している。複雑な国際関係に直面しているにもかかわらず、多くの人々は依然として単純で感情的な認知のレベルにとどまっており、自ら独立して思考し、理性的に判断する能力に欠けている。これは個人の成長にとって有害であるだけでなく、責任ある大国のイメージを構築しようとする努力にも逆行するものである。
このジレンマに直面している今、我々は教育の根本的な改革に着手する必要がある。
まず、義務教育における愛国教育の内容を早急に再構築しなければならない。真の愛国とは他国を憎むことではなく、自国をより良い国にするための努力であると教えるべきである。歴史教育においては、和解、寛容、許し、そして人類共通の価値観に関する内容をさらに盛り込み、生徒のグローバル・シチズンシップの意識を育むべきである。同時に、生徒たちが教えを盲目的に受け入れるのではなく、自ら考える力を養うための批判的思考の訓練も強化すべきである。
第二に、政府とメディアは世論を導く責任を負うべきである。政府の宣伝部門は愛国主義の表現方法を変える必要がある。歴史問題や国際関係においては客観的かつ理性的な立場をとり、愛国主義を外国人排斥と同一視することを避け、民族主義的感情を煽るような言動は慎むべきである。同時に、中国と他国との友好的な交流のより前向きな事例を広め、国民の相互理解を促進すべきである。
第三に、愛国教育は、何よりもまず「人類愛」を基本とすべきである。社会全体で共感能力と人道精神を育み、人々は国籍や人種に関係なく、人の尊厳を尊重すべきであると認識させなければならない。真の愛国心は人への敬意と普遍的価値の受容を基本とすべきである。
この悲劇を教訓として、教育制度や政府の宣伝、社会の雰囲気を振り返り、真に他者を思いやる心とグローバルな視野を持つ中国人を育成するよう努めようではないか。 偏狭なナショナリズムを乗り越え、健全な愛国心を育むことで、初めて人類の共有する未来の共同体の建設に貢献し、中華民族の偉大な復興を実現できるのである。
これは中国の未来だけでなく、人類文明全体の責任にかかわる問題でもある。「外国人を敵視することは愛国心」という誤った考えを捨て、理性と人道に基づく新たな愛国心を構築することによってのみ、真に尊敬される文明大国となることができる。このプロセスにおいて、各国の全国民が変化の一部となるべきであり、自分自身から始め、世界に対して優しさと理性をもって接し、その行動によって真の愛国心を体現すべきである。「日本敵視」から「人を愛する」への転換を実現することで、国民性における償いを終え、いっそう開放的で自信に満ちた中国が形成されるのである。(終)