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デ・ラ・ソウルに学ぶ。

ヒップホップ界のレジェンドMC、De La SoulのTrugoy the Doveが亡くなった。近々は好きなミュージシャンや著名人の訃報が立て続けに起こっている気がする。自分が憧れた世代が高齢になるのも確かだが、世界平均寿命は71歳。日本の男性は82歳。アメリカの男性でも77歳と言われている。トゥルーゴイデイブは54歳。まだまだ生きて欲しかったが、この数年は闘病生活だった事が報じられていた。先日行われたグラミー賞でのヒップホップ50周年記念ライブでも錚々たるメンツがステージに上がる中、デラソウルは相方のPos1人だった。2023年3月にデラソウルの音楽がサブスク解禁のニュースが入り、また活動的になれば思っていた矢先の訃報。2016年の新譜発売に合わせたビルボード来日公演に行けなかったのは今でも悔しく思う。

デラソウルはUSラッパー、USヒップホップで1番好きと言えるグループだ。初めて聴いた時は発見というか到達した気持ちになった。リアルタイムではなく20歳を過ぎた頃だった。今も覚えている。この到達に感じた背景には自分の幼少期の体験が大きく反映している。

1987年、ギリギリ昭和生まれの自分。物心つく頃にはバブル全盛期と弾ける時代。地方の田舎、福島県出身の自分はメディアに触れるくらいしか時代は感じれず、インドアで遊ぶものといえば絵を描いたり、漫画を読んだり、ゲームをしたり、トレンディなドラマや今ではコンプラ規制なバラエティを見たり、TVも華やかな時代。アニメは夕方、バラエティは19〜21時、ドラマは21〜23時、映画は金土日の21時に、深夜にキッチュなショートタイム番組がやってる時代。読む漫画もドラゴンボール、スラムダンク、幽遊白書、アメリカナイズな内容。(漫画はジャンプ、サンデー、マガジンも毎週読んでいた)レンタルビデオ店に行けば、昔の仮面ライダー(推しはストロンガー)や、名探偵コナンではなくYAIBA、ミュータントタートルズのアニメを借りる小学生時代を過ごした。

1999年。当時は小学6年生。同世代に多かろうDragon Ashのグレイトフルデイズでもれなくヒップホップ、ラップにハマる。その前に自分は95年のMAICCAに衝撃を受けてラップが好きになる素養はできていたと思う。ラップを知っている奴がイケてる!という粋がりでノリが分からなくても、いや分かりたくて情報を追っていたのも思春期な理由と今では思う。イケてることをやってなくても知ってればイケてるような。「自」でそういう人ではないのは当時から自覚があった。

敏感な友達がアルバム「Viva La Revolution」を買い、ラップパートを覚え、今思えばさんぴんも黎明期の歴史も知らないのに、俺はラップが好きと言い出す人口が増えたのは確かだと思う。そんな時に、上京している姉がいる友達が、自分にブッダの黒船とスヌープのドギースタイルを貸してくれた。都市部の最先端のノリを知っている彼はいつもカッコ良くて、彼のおすすめを聴けばグレートフルデイズのような体験になると思っていたが、ガチのガチのヒップホップのノリが分からず、なんだか怖い、ホラーな気分になってしまい、当時は気持ちよく聴けなかった。

そんな頃に調子に乗って色気づいてきた自分はファッション誌や音楽誌なるものをkjが表紙だからという理由で買い始め、そこでリップスライムの紹介を見る。屋上みたいな所に5人立って笑顔の写真。青色のダウンジャケットのSUさんがイケててグッときた。その時には先述のイケてる友達からTMCオールスターズを借りていてリップスライムとラッパ我リヤが特に気になっていた所だった。この時のリップのなめらかで飄々としたラップが心地良くてRYO-Zさんのクルー紹介の所にもなんだこの時間は!と衝撃だった。それだけリップスライムはかっこよかった。ステッパーズディライトを即様買いに行き、カラフルで丸っこいグラフィティと赤塚不二夫調のメンバーのジャケットに更に度肝抜かれた。漫画の模写やゲームのモンスターを描くのが好きだった少年はこんな絵もあるのかっ!となった。かわいくてキャッチーで、でもカッコよくてクルーそれぞれの良さがあって今思えば誰推しか決めれなくて箱推ししてた。インドアに通ずるノリに見えて、ストリートの悪なお兄さん感もあってイケてた。リップに傾倒するしばらくの期間があって、出会ってしまったのが、全ての自分の派生のきっかけであろうHALCALIだ。O.T.FことリップのRYO-ZさんとFUMIYAさんプロデュースのfemaleラッパーオーディションで生まれたグループ。デビューシングルのタンデムを聴いて、TVでちらっと見たPVを観て当時の自分は到達した。これだー。これはヤバい。見つけたー。だった。(この時はまだスーパー豪華なメンツが制作していた事をまだ知らなかった。)

当時のオーディションといえばASAYANが盛り上がり、モーニング娘。ハロープロジェクトが賑わいを見せ、セクシーな歌からラブマシーンへの軌道修正が大ヒットし、アイドルの新しい様相が浸透してた。女性シンガーも、ブラックミュージックなダンスチューンを歌って踊れる安室ちゃんも強いし沖縄勢グループSPEED、Forder、Earthもカッコよく、宇多田ヒカル、アユ、MISIA、椎名林檎、aikoと、R&B、トランス、バンド、様々なジャンルの突出した魅力が1997年〜2001年頃は席巻してた。ハルカリはどれでもあるようでどれでもなく、よくゆるめな2人組の認識でPUFFYと比較されるけど、全然コンセプトが違うと思っている。緩く見えるけどダンス上手いの出ちゃってるし、だからリズム感がいいからかラップも上手く、単語の意味気にしなくても聴けるし、RYO-Z節再現できるし、スーパーラバーズなヒステリックグラマーなカラフルさとハードさ着こなしちゃうし、なんだか2人のそのまんまのテンションも大いに出てる気がして2人の「リアル」が滲み出るようにプロデュースされてると感じた。

PVは古いんだか最新なんだか分からない色んなパロディが込められてて、とにかく14歳の短い思春期で多感な今までの蓄積を捲られてまとめられた気持ちになった。何がってハルカリのユカリさんと同い年ってのもダメージだったし憧れた。(モー娘の辻ちゃんとは生年月日が一緒というのも当時それはそれで衝撃だった。)

ここで自分はこういう音楽が好きなんだ。とヒップホップでも色々あるんだなと気付き、先述のJ-POPも追いながら、ヒップホップで受けた感動も探すようになった。木曜深夜にやってるビルボードTOP40を毎週録画し、ワンフレーズしか流れないPVとミュージシャンの解説で好きな曲を探す。当時のヒップホップは皆んなマッチョでドゥーラグに裸でブリンブリンぶら下げてて、蛍光色の水着か下着か分からないセクシーな服のお姉さんがギラギラした車の周りで踊ってるみたいな世界観で、自分には到底リアルではなかった。でもその中でも自分に通ずるエッセンスを探そうと躍起になって出会ったのはJa Ruleの「Mesmerize ft. Ashanti」だった。ジャルールのガシャガシャした野太い声と、アシャンティの色気と繊細さのある声、クラシック音楽の厳かさと切なさにビートとどこか陰鬱さが相まった感じが好きだった。R&Bなる言葉も宇多田ヒカルさんのデビューによってJ-popでも女性シンガーの新しい形として周知されていたおかげもある(宇多田ヒカルも大好き)。曲が気に入って隣町の唯一ヒップホップも置いてるCD屋さんに行き初めてUSヒップホップの棚に足を向けジャルールのアルバムを買うが、裸のマッチョな背中にタトゥーが描かれたジャケットに一瞬ビビる。当時はADVISORYの意味も知らずに買ってしまってから、当時歌詞カードを見ながらCDを聴いていた自分にはずいぶんショックな体験だった。

それでも自分はジャルールとアシャンティに似た人を探して、大流行してたネリーとケリーのジレンマにもハマり、デスチャにハマり、DMX、EVEのラフライダーズもハマり、グウェンステファニー、メアリーJブレッジにハマり、リュダクリスにハマりと地域性や背景もよく知らないままCDだけ増えていく。

その後にTLCのファンメールを知り、アリシアキースがデビューしてハマり、ジュラシック5がリップみたいとハマり、ファレルがソロで出てきてハマり、ミッシーエリオットのファニーでパロディでイケイケでもリスペクトと愛を感じるノリで大好きになって、でも歌詞カードはいつも読むたびに刺激が強くてビックリして。ミッシーを知った時も到達した感覚があったけど、共感というよりは圧巻。とんでもないスケールのエンタメを観たというような感覚だったと思う。

でもずっと探していた。内向的でインドアでマッチョイズムなんてサラサラない非力なサブカル好きの田舎者に響くヒップホップ。そんな地方からの憧れと共感。SNSもなく、イケてる友人も少なく、この限られた情報量で10代の自分はまだデラソウルに出会えなかった。

18歳で福島県から上京し、渋谷TSUTAYAで毎週のようにCDと映画を借りてサブカル収集に明け暮れ、当時自分はそもそも本当は何が好きなんだろうと悶々とし、それでもこれが俺の真髄だっ!とオシャレに思われたいイキった謎チョイスに手を出す未だに思春期な悩みに囚われ、パソコンにCDを取り込みまくり16GBの iPodに自作のミックスを入れて聴きながら移動する日々。

あーでもないこーでもないを繰り返して、20歳にもなり寒い冬の日。雪が降ってて、カンゴールのハンチングに黒のschottのPコートで友達からもらったUNIQLOのニットセーターでバランスウェアのデニムで黒のティンバー履いて、2階の玄関を出ると踊り場が凍ってて恐る恐る階段を降りて家を出たあの日。俺って何が好きだったっけ?って冷静に考えたあの日。寒い。なんだ今日。ちょっと待て俺。ちゃんと自分に刺さる音楽聴きたい。ってなったあの日。改めて思い出す。ハルカリだ。この5年位の情報を辿りまくって家に帰ってストロベリーチップスを聴いた日。あの時にまたハルカリで到達した。あぶねー、俺の好きはこれだよこれ!!!!!とまた聴きまくった。

そこを乗り越えて、専門学校も終えて、絵でやってくってどうしたらの時にハルカリを追ってスチャダラパーに改めて出会って、聴きまくって、もしかして自分のハマるポイントって90'sにあるのかっ⁉︎って調べてスチャと共演している⁈スチャのルーツ⁈としてやっと出会えたデラソウル。ここまで長かった。文章を控えたつもりですが、これでも思い出を大幅に省いてやっとデラソウル。それだけデラソウルへの思いは大きい。MAICCAに大きなきっかけをもらって、リップにハルカリにハマってあんだけUS聴いて、スチャダラパー(BOSEさん)をポンキッキのお兄さんからゴリゴリのヒップホップの人だっ!!って気づくまで。やっと。やっと出会えた。それまでデラソウルに全然出会えなかった。でもここまでの思春期の悩みがあったからこその到達。デラソウルに出会えた時の喜び。

1st「3 FEET HIGH AND RISING」が89年作。知った時の驚き。意外とオールドスクール!てっきり90年代入ってると思ってた!と驚いて、聴いた時のスチャダラ、リップ、ハルカリに出会った時のようなワクワク。軽妙さとグルーヴ。歌詞の意味を知らなくても気持ちよく聴けるこの感じ。自分が好きになりたい要素詰まりまくってる!!の衝撃。

80年代中期後半のヒップホップはRUN DMCがいて、パブリックエネミーがいて、ブギータウンプロダクションがいて、西ではN.W.Aがいて。ハードコアでもギャングでもインテリジェンスで社会派でもなく、(ヒップホップって存在が社会派じゃないかというのは一回置いといて)
ニューヨーク生まれだけど超リッチでも貧困層でもなく中流階層の同級生3人組の本気と遊びのコレいけてね?のごった煮感のデラソウル。サンプリングまんま使いで、ファニーで、どこか子供っぽくて、おもちゃで遊んでますな楽しさがあって。英語分からないから曲にハマるけど、あとから歌詞や背景を調べて、この選曲のチョイス、サンプリング手法も画期的、ヒップホップのスタイルが形骸化しそうな中で、いやいや押し付けないで、うちらはうちらでこんなノリでもヒップホップだよ。というメッセージと精神性。時代的にも革新であった事を知って更に聴き込む。

1stが取り上げられガチだけど、新譜ごとにデラソウル的テーマ、解答になっていて音楽も更新されている印象で、4th「stakes is high」も特に好き。シックな感じでジャジーと言えばいいかメローと言えばいいか、96年作で自分がJ-POPばっかり聴いてる時に、どこか00年頃のR&Bにも通ずるようなこんな穏やかなアルバムがあったとは。知らないだけで色々起きてるんだなーと感じた。

2pacとビギーの一世風靡のあと、2000年代前後の流行はハードコアな方がどんどん多くなり、自分もヒップホップ=悪そうなやつは大体友達ような刷り込みで育った中で、自分は田舎者で町の風潮みたいのものに疑問もあって、結局インドアで絵描いたりして、家族とも仲良くて、学校サボる事もしないで、でもヒップホップを好きになってしまって。

デラソウルもスチャもリップもハルカリも、言っても都市部最先端、シティボーイ、ガールなクールさもあって、そこは自分には持ち合わせてなくて、憧れの眼差しもある。ゆるく見えるだけで、知的で強くて優しくて音楽大好きなんだなと感じる音楽。とにかくハッピーな気持ちになる。

デラソウルを知ってサンプリングや、原曲のソウル、ファンクにも、ヒップホップの時代背景にも興味が出た。未だこの時の感動探しをするように色んな音楽に触れたいと思っている。デラソウルは著作権や版権の問題で楽曲が出回りづらい時代が続いたけど、サンプリング文化、コピーライト、オマージュとパクリの違い。オリジナルの意味。アートにも通ずるこの問題すら引っさげて、最終的には権利も勝ち取って、また今に、後世に喜びを与えてくれるんだと思う。

自分の好きなものに気付いて、何でそれが好きか考えるのも自分ってこういう奴だからこれが好きなんだって気付けたりする。

ダラダラと文が伸びてしまった。
またデラソウルを聴きながら絵を描こうー。


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