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ぴったりの湿気
また、寄り添っている。
やめて、という言葉にも思いにも、耳を傾けてくれない。
わたしの体はそれほど大きくないけれども、全身にぴったりしている。
正直、いい気持ちはしない。
さわやかではないんだ、しつこいんだ。
ベタベタしてくるし、どこにでもいる。
一年中ではないけれども、一生付きまとってくる。
たぶんこの時期、体重は増えている。
一緒に体重計に乗って、その値に驚いたり喜んだり落ち込んだりする。
一方、ベタベタしてくるくせに、感情は伝染しない。
体重の増減のような、感情のアップダウンはない。
夜中でも、一時も離れないのに。
わたしの怒りの方が、ずっと遠くにいる。
でも、決してキラいじゃないんだ。
砂漠よりも、泥の中で生き物は育つ。
乾燥肌よりも、しっとりしている方がいい。
ひとりぼっちよりも、たくさんの人に囲まれて暮らしたい。
だからやめて、という気持ちは、本気じゃない。
毎年、寄り添ってくれることを楽しみにしている。
六月に、出会えることを待ち望んでいる。
夏前に、別れることを怖がっている。
浮気も、不倫も、不貞行為もない。
遠くに行かないでくれ。
頼むから、ずっとぴったりしていて。
☂☂☂☂☂☂
出社前に、いつも慌てる。
傘が見当たらなくて。
そしてカバンの中を開けると、ほっとする。
小さくまとまった折り畳み傘が顔をのぞかせているから。
傘と言えば、ビニール傘、というすりこみは、なかなか消えない。
社会人になるまでの、二十年以上の蓄積、つまり慣習がある。
だから雨の日の朝は、必ず慌てる。
それに、一年中雨の日、ということはないから、カバンの中に折り畳み傘があることを、忘れてしまう。これは慣習になっていない。ルーティーンになっていなければ、なにもかも忘却の彼方へ。電車の乗り方も、Excelの使い方も、ミーティングでの座る位置も、「お世話になっております」から始まるビジネスメールのマナーも、すぐに記憶から失われる。
ただ、夏のうだるような暑さや、雪景色を演出する冬のことは、どちらも毎日の出会いではないのに、よく覚えている。ドロドロと体が溶けるような暑さや、縄でグルグル巻きにされて身動きがとれなくなるような厳しい寒さは、しっかりと体に染みこんでいる。生存への反発は、脳を夢中にさせるのか。
梅雨も、忘れない。
灰色の空に、じめっとした大気の中で、しとしとと降る雨。
夏や冬よりも期間は短いけれども、あるいは、短期間だからこそ、はっきりと覚えられるのかもしれない。退屈な長編映画より、ソファーでくつろぎながら、だらだらと眺めるテレビドラマのほうが楽しめるものだ。
そんな梅雨を、このまない人は多い。洗濯物が乾かない、生乾きの衣類、髪の毛がまとまらない、カビやゴキブリの出現、気分が乗らない、満員電車の暴力、濡れた路面がすべる、靴やボトムスはいつもびしょびしょ、と梅雨による被害をあげていけばきりがない。
わたしはそれほど、この時期をキラいになれない。
連日の雨は、街を静かにさせる。
その静けさを、わたしは愛する。
ただし、この気持ちは、アジサイやカエルには負ける。
あれほど、自身の美しさを主張することはない。あれほど、楽し気に飛び跳ねることもない。雨の中では、おとなしくしていたいから。
雨具メーカーや、室内干し用洗濯洗剤を製造している企業ほど、テンションも上がらない。梅雨の時期だからこそ、需要の拡大するマーケットがある。わたしにとって梅雨は、ビジネスとして活用するものではない。
人によっては、じめっとした空気は、愛せないかもしれない。不快であることは、自明だ。しかしながら、そのストレスは乗り越えられる。あるいは、その不快感を快楽に転換できるはずだ。緊張感から解放されること。夏への求愛。太陽に感謝。お金をためて、欲しいものを入手することに似た快感を味わうために、梅雨は存在している。
さて、静かな街を楽しもう。
雨の中の散歩に、人間関係における摩擦はない。
☂☂☂☂☂☂
人を消せる魔法を、雨は知っている。
休日の午後にもかかわらず、駅前の商店街に二酸化炭素は少ない。声も足音も、そしてそれらが混ざりあった不協和音もほとんどゼロ。その代わりに、雨音と湿気がわたしをやさしく包む。
また雨は、人ごみを解決する術のみならず、街中をカラフルにすることもできる。傘の色は1種類だけではない。黒やビニール傘の透明、といったスタンダードな色合いばかりなのは、ビジネス街だけ。紫も、青も、赤も、黄色もある。それに、ストライプやドットなどの柄も目立つ。普段の商店街を上空からのぞいても、このバリエーションはない。黒や茶色ばかりの、地味な光景だ。そして晴れの日であれば、青空や夕日の美しさに勝る者はいない。
人をさらい、街並みをカラフルにした後、雨空は自身も装う。円を描いた、大きなストライプ柄の自己主張。虹のメカニズムは調べればわかることだけれども、どうしてその装いをしているのかわからない。空だって、インスタ映えを狙っているのかもしれない。たんに自己顕示欲が強いだけなのかもしれない。あるいはなにか、重要なメッセージを発信しているのかもしれない。
商店街のような繁華街をカラフルにする雨は、国道や公園の色も変えられる。
本来のあっさりとした風景に、重さや厚みが宿り、どこもかしこも濃厚だ。グレーの道はより黒に近くなり、きみどり色だった芝一面は、深緑に。木々の幹にも、たくましさを感じられる。鉄棒やジャングルジムといった遊具は、輝きを手にする。
いつもは空っぽな、単身世帯用のアパート・マンションも、喜んでいるに違いない。休日はアウトドア派、とアピールする人も、雨の日は自宅で過ごす。住宅だって、一人きりはこのまないはずだ。人肌のあたたかさに触れ、戸建て住宅ならば、一家だんらんの美しさにほほえむ。
濡れることに、怒りは覚えない。
わたしは、そんな小さな人間ではない。
怒りに満ち溢れていることは、もうじき梅雨前線とさよならすることだ。
天気予報が正しければ、来週には、姿を消す。
別のところでゆっくりと過ごし、そこにカラフルな光景を与える。
わたしはそのことに対して、ひどく嫉妬する。
じめじめに対して、めそめそ。
べたべたに対して、ぐちぐち。
しとしとに対して、しくしく。
いかないでくれ、という魂の叫びが絶対に届かないことがわかりながらも、わたしは雨空を仰ぎ、両手をあわせる。
☀☀☀☀☀☀
カラッとした青空。
洗濯物があっという間に乾きそうな、ギンギンの太陽。
梅雨前線はもう、いない。
雨自体は降ることもある。でもそれは、ずっと続かない。夕立、というスタイルで長い時間かけて、街中にツヤを与えるものではない。強いだけ。うるさいだけ。そのやり口は、愛せない。
梅雨前線とともに、湿気も姿を消した。少しはいるけれども、全身をくるむような数はない。ベタベタとした不快感も、体のけだるさも、あの重みも、なにかも失われている。
そのことについて、わたしは、感情的にならざるをえない。
いなくなってしまったことに、悲しみを覚える。
あれだけ寄り添ってくれていたんだ。
あれだけいつもくっついてくれたんだ。
どうしてだ、という怒りによって、季節は戻らない。帰ってきてくれ、という切望も、届かない。思い通りにならないことに腹を立てても、疲れるだけ。
汗では、湿気の代用にならない。
たしかに、ベタベタはしているし、同じ水分。
しかし、汗自体はわたしのもので、湿気はよそもの。自分の汗を愛するほど、自己愛の強い人間ではない。他者を愛すること、あるいは他者から愛されていると勘違いしていることに、生きがいを感じられる。
涙だって、ダメだ。
もうすでにボロボロとこぼれているこの涙も、汗とたいしてかわらない。愛せない。むしろキラいだ。泣いたって、この問題は解決しない。梅雨は戻らない。湿気に包まれることはない。
もう、どうしようもない。
来年まで待つ、という忍耐力なんて、わたしにはない。
なにもかも終わりだ。
感情の爆発に後押しされ、財布を持ち、外に飛び出す。
向かう先は、家電量販店。
目的は、加湿器。
カラフルな、加湿器をたくさん買ってやる。
虹色のような加湿器を、いっぱい購入するんだ。
そして、抱きしめてやる。
今度は、わたしのほうから。
(了)
※この物語は、フィクションです