空手の口伝と空手道修行者の心得、沖縄拳法総本部中村道場 中村丈人先生について。
空手には、「口伝」というものがあります。
一般的に習うものと異なる、いわゆる特別な技術や理です。
今から30年以上前、沖縄拳法中村道場にて先輩との試合がありました。
先輩の背丈はほぼ同じなのですが、とにかく速くて強い。
ずっと目標にしている方でした。
試合の結果は、善戦はしたものの負けでした。
その反省もあり、ひとり居残りで練習していました。
夜10時を超えた頃でしょうか。
誰もいない道場で、中村丈人先生から声がかかりました。
「試合してみよう」
当時、先生は60代。
少し驚きましたが、先生との試合なんて初めてです。
断る理由はありません、思い切って当たっていきました。
誰もいない道場での試合が始まりました。
静かに間合いを取りながら、徐々に詰めていきます。
時間にして5分ほど、試合は続きました。
結果は、ほぼ一方的でした。
私から手を出さなくてはならない状況を作られ、交わされ、打たれるというもの。
特に、打たれた部分は、ほぼ「同じ場所」でした。
痛みというより動きが鈍くなるという症状が起こりました。
体力には自信があったのですが、後半は一方的に押され、試合は終わりました。
試合終了後、先生は一言、
「これを覚えておきなさいね」
私は「これ」をすぐに理解できませんでしたが、後日分かります。
「打たれていた場所」が、沖縄拳法に伝わる人間の急所だったのです。
つまり、口伝でした。
昔は、先生が生徒達のレベルや継続性を見極め、大切なことを口伝として伝えていたのです。
先生との試合は、先にも後にもそれ一度限り、特別な経験でした。
試合に関して覚えていることは、先生の目からの情報がなく動きが読めなかったこと、こちらから出て行かなくてはならなくなる状況になっていたこと。
そして、打撃の場所。全て重要な要素が詰まっていました。
さて、社会人になってからも、先生には空手以外にも通じる理をたくさん教えて頂きました。
特に空手道修行者の心得に書いてある「慢心」については繰り返し注意されておりました。
時は経ち、
2020年、新型コロナウイルスによるパンデミックが発生。
人の動きが止まり、弊社も長期休園せざるを得ませんでした。
中村道場へも、もし高齢の先生にうつしてしまったらと考えると行けません。
そのような中、5月中旬、先生が私の職場にいらっしゃいました。
「このような状況は、きっと収まってくる。だから気持ちを落とさないよう頑張りなさい。型も忘れないように、沖縄拳法中村道場は、開けておくから何時でも来なさい。私のことは気にせず、沖縄拳法が生まれた道場の火は消したらダメだよ」
先生に初めてお会いした頃は、とても怖くて近寄りがたい存在でした。
しかし、実際はいつも優しく、それぞれの段階で不思議なほど適切なご指導を頂きました。
思い出もたくさんあります。
高校生の頃、空手の大会に参加する際は、毎日往復4時間かけ送迎頂きました。
世界のうちなーんちゅ大会では先生との鎌対棒の演武に大抜擢。
弟子達へ経験を積ませる為、様々なイベントへの取組みも大変だったと思います。
礼儀作法はもちろん、武器や道場や地域に対する礼も教えていただきました。
なにより、それぞれの弟子により異なった長所を伸ばす指導は、私のビジネスの根本にもつながっております。
トロピカル王国物語や街づくりなど「同じ土俵にのらない勝負の仕方」は、まさに先生から学んだ考え方でした。
そして、ずっと先生の努力している後ろ姿を見てきました。
新型コロナも収まり、元の沖縄に戻りつつあった2024年6月1日、
沖縄拳法総本部中村道場 中村丈人先生は、静かに息をひきとりました。
(享年91歳 1934年〜2024年)
沖縄拳法流祖であり父である中村茂から受け継いだ沖縄拳法を大切に守る為、良いことも苦しいこともたくさん乗り越えてきました。
そして、次世代へ続く多くの弟子達も輩出しました。
現在は、沖縄拳法に伝わる型や古武道を伝承する為、中村靖先生や松田先生のもと改めてメンバーが集結し、地元や国内はもとより世界に向けた取り組みが強化されていきます。
道場で目を閉じると、先生の棒を振る音が聞こえてきます。
そして、道場の左壁を見ると、空手修行者の心得が掲げられています。
そこには先生がいつも注意していた慢心について書かれています。
これからも慢心せずコツコツ努力して入ります。