雪がなくなったら、全員負け
先日POW JAPAN(一般社団法人Protect Our Winters Japan)という組織が掲げ、スノースポーツ界隈の多くの著名人がリポストしたキャッチフレーズだ。それにしても、法人名のWinter"s"という表現、好きだ。
寄付で集めた活動資金をいったい何に使っているのか、理念は素敵だけど実際何をしているのか不透明だなと、6年前講演会に参加させていただいた時は思ったりもしたものだが、今となってはスキー仲間の多くがその存在を知るほど、界隈では話題の法人だ。
雪がなくなったら、全員負け。本質をついた一言だなと思う。雪上の移動手段=道具として発明されたスキーをはじめ多くのマテリアルスポーツは、こうした「手段」が競技に、エンタメに、趣味に発展したものだ。
先日発刊されたウィンタースポーツ界隈の古今東西を素敵な写真を添えて紹介する雑誌「Stuben Magazine 07」の中で、アルペンスキーナショナルチーム男子を率いる河野恭介氏がオーストリアハンターリリエンフェルトにあるツダルスキー博物館を訪ね、アルペンスキー発祥の地でその原点をレポートしていた。
曰く、危険な雪山をいかにコントロールして=旗門を通過して、転ばずに=コースアウトせずに、素早く滑り降りてくる=短いタイムでゴールを通過することができるか、直接自らの生死に関わるその技術を競い合いながら訓練するために、開催されるようになったそうだ。雪上をかっ飛ばすアルペンスキーにいまいち移動手段としての側面を感じられていなかったが、ようやく腑に落ちた。やはりアルペンスキーも道具であり、移動手段としてのスキーに端を発していたのだ。
先人たちの知恵がスキーを生み出して以降、世は産業革命を経験し、人々を突き動かした"不自由"は"余剰"へと転換し、生活は便利を極め、ニッチを食い尽くす戦争時代へと突入している。
それでも大自然と対峙する人類にとって、今なおスキーは険しい雪山を安全に、素早く,そして、楽しく、移動する最も有効な手段である。移動手段としての必要性から解放され、趣味、楽しみとしての側面に重心が傾いたとはいえ、その本質は変わらない。
結局は雪あっての「手段」=スキーであり、それはアルペンでも基礎でも、フリーライドでもバックカントリーでも何も変わらない。
スキーという「手段」をもって、雪という摩訶不思議な自然現象を狂信的に追い求める、ある意味で温暖化を世界で最も敏感に感じ取る集団。自然に分け入り、切り拓き、我が物顔で雪面を切り裂く我々にとって、そのフィールドを失うことは受け入れ難い喪失であり、つまりは「雪がなくなったら、全員負け」である。だからこそその切実な危機感は大きなチカラになる。今年で何日初雪が遅れた、そんなことをニュースの報道よりも早く、敏感に、自覚的に察知する能力は我々にしかない。スノースポーツという「手段」を武器に、年月の中で手に入れた楽しみという「目的」を共有し、その輪を少しでも広げていくことは、人類史の大事、地球温暖化に抱く切実な当事者意識の和を拡げていく最も有効な手段の一つであるように思う。
大自然の恵みと脅威を前に、リフト乗り場の大渋滞などという小事で歪みあっている場合ではない。