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自分の人生の核を他人にしてはいけない、でも…
「推し活」のイメージはどんなものでしょうか。
好きなものや夢中になれることがあるということは、生活に彩りが生まれ、生き生きとした毎日につながります。
楽しいことがあると気持ちが豊かに前向きにもなります。
実際に「推し」の存在によって、仕事や勉強へのエネルギーが湧いてくるということはよく耳にします。
最近は周りの人との「流行」にあわせて、みんなで一緒にワイワイ楽しく遊ぶというよりも、人と関わる機会が減ったことで、それぞれの人に「推し」がいて、その存在によって自分の日々を豊かにするというムーブメントが主流になっているようです。
SNSのそれぞれの推しクラスタでトレンドが割り振られるようになって、世間の流行とは別の賑わいというものが推しの関連ごとに作られるようになったことも大きいのかもしれません。
消費者庁も若者の消費行動についての次のレポートを提出しています。
ところがブームが拡大し、推し活を楽しむ人口が増えていけばそれだけトラブルも増えていくというのも世の常。
推し活のビジネスターゲットに「若年女性層」に広がっている昨今、これからもこの手のトラブルは増えていくと思われます。
もしも自分の人生の核に他人を置いてしまった場合どうなるか
自分は人生の「核」に人をおいてはいけないと常に肝に銘じています。
「核」というのはつまり「拠り所」ということです。
この拠り所に依存してしまうと
いつもいつも彼氏の行動をチェックしないと気が済まないメンヘラ彼女
子供の成育を気にするあまりに行き過ぎた干渉する毒親
日々の推し疲れから反転アンチになる厄介なファン
となってしまいます。
だから私はいつも、「この核だけは他者に依存しない」と決めています。
(ただ、自分の生き方を決めているだけで、実際は知らないうちに依存しているのかもしれませんが……。)
その真摯で純粋な姿勢があれば、失恋しても次に進めますし、推し活に浪費したと気づいても、また戻ってやり直しができます。
人生とはその縁結びの繰り返しかもしれません。
自立するということと孤立するということの違い
とはいえ自分は一人でなんでもできる、他の人の助けは必要ない、というのは「自立」ではなくただの「孤立」です。
本人はこれが自立だと思い込んでいるわけですが、それは自立ではなくただの強がりです。 なぜならそもそも私たちは「助け合わなければならない弱い存在 」だからです。
自分が弱い存在であるということを認めて、失敗を繰り返す。
そしてそれを繰り返していくうちに、いつの間にかオトナになってお互い信頼できる「生きた縁」を繋げて、やがて孤独に死に至る。
これは私の中で究極の理想形なのですが、まだまだ道半ばであります。
人生の核を他人に任せない、でも自分の弱さを認めて人と助け合う。
推し活に限らず、人生には両方のバランスが必要かと思います。
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