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番外編〜コーヒーと秋田〜
お詫び
長らく更新が滞り、大変申し訳ない。
というのも、私は年に一度の海外出張でとある国に滞在していた。
東南アジアのベトナム🇻🇳である。
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前にも説明したかと思うが、ひょんなことから、秋田県外の今の仕事を紹介され、研究職みたいなことをしている。9月は年に一度の会議参加の招集がかかり、ベトナム🇻🇳に行っていたのである。
そんな仕事先で、ベトナムコーヒーを飲みながら、遠い北国の故郷秋田に思いを馳せていた。
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大っっっ嫌いだった故郷
私は、三十路まで秋田で進学、就職していたが、そもそも秋田が好きな訳ではなかった。
私の住む地域は県都秋田市のど真ん中で、『新国道』と呼ばれる、秋田で1番栄えているロード沿いに生活の全てが揃っている。秋田=田んぼと思っている人にとっては意外かもしれないが、地方都市の割には案外車や人の数も多い。
ここにはスーパーもあり、靴屋もあり、紳士服屋も郵便局も銀行も、漫画喫茶も中古家具店もファストフード店も車屋もカー用品店も100円ショップもカラオケ屋も飲み屋も塾も病院も薬局も、なんでもある。『多くを望まなければ』ここですべてが揃うのである。
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ちなみに、新しくもなく、国道でもない
『多くを望まなければ』を強調したのは、あくまでロードサイドの店舗街なので、生活していくために必要な店が大半であり、人生を彩るようなオシャレな店はほとんどない。チェーン店が大半。
それを責めているワケではない。仕方がないのである。秋田県は人口90万人を割り、県都秋田市も人口30万人切った状況で、生活必需品以外のチェーン店以外が生き残るのは至難の業である。
オシャレな店に行きたい若い子は、重いキャリーバッグを引きずりながら、秋田駅の東口に行き、往復7時間&9,000円かけて仙台に行くのである。または、夜行バスで東京まで行っちゃう。
それでも満たされない子は、進学や就職で仙台や東京に行き、帰ってこない。これが残念ながら現実。
若い頃の私も例に漏れず、多くを望んでしまった。
「このコーヒーしか知らないままか…。」
私は、田舎の進学校に入学したが、理由は、秋田から出られると思ったからである。
それを強く感じたのは、自宅でコーヒーを飲んでいたとき。母はコーヒーが大好きで、朝は欠かさずコーヒーを淹れてくれるのだが、私は、このコーヒーが美味しいのかすら分からなかった。
今でこそ、新国道にも全国チェーンのコーヒー店が出店しているが、当時は駅前ぐらいしかコーヒー店はなく、家が貧乏で少ないお小遣いでやりくりしていた私は、味の比べようがなかった。
「このコーヒーしか知らないまま、美味しいのか比べられず、人生終えるのか…。」
当時15歳だった私は、突如虚無感に襲われ、大人になったら秋田を出て東京や海外でコーヒーを飲んでみたいと強く思った。私にとって、コーヒーは『外の世界』の象徴であった。
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ただ、ここから本当に苦労した。
秋田から出られない=憎しみ に変わる
私は、現役時代に大学受験にあっけなく失敗した。ここまでは明らかに私の過失なのだが、この先は残酷なまで、親の経済格差が浮き彫りになってくる。
そこそこお金持っている家は仙台に、お金持ちは東京に浪人させるのだが、我が家のようなド貧乏な家庭は、秋田に残って勉強するしかない。結局、入れられたのは冷暖房すら壊れていて窓の隙間から雪が入ってくるような酷い予備校で、テスト以外はほとんど通うことなく、毎日図書館で勉強した。その時かかった予備校の費用は就職後に遊ばずコツコツ貯めて、全額親に返した。
そんな予備校(実質宅浪)で元々低かった学力など伸びる訳がなく、前期試験で第3希望の大学すら落ち、後期試験で地元の国公立大学に進学した。後から親から直接聞いたが、地元以外だと仕送りも難しく家計的にキツかったらしい。
大学卒業するまで、とくに友だちと遊ぶこともなく、卒業旅行も行かず、卒業式後もギリギリまでバイトして親に金を返していた。
就職も秋田だった。こんどこそ県外に行きたかったが、当時はまだ私が持っていたスキルは社会での需要が少なく、秋田県内で就職するしかなかった。
秋田で働いた7年間本当に苦しかった。
苦労苦労と自分で言うのは恥ずかしいが、仕方ない。心が壊れてしまって、心療内科に毎月通うほど追い詰められた。ドブさらいや、腐りかけた商品の処理も行った。理不尽な叱責、誰もやりたくない仕事の押し付け、明らかな労基案件、隠蔽、勤務形態の急な変更、月3万円の給料で夜中まで働かされるなど、振り返ると、よく今生きていると思う。
いつの間にか、秋田への想いが強い憎しみに変わってしまっていた。
そんな時、大学の恩師から話が来た。私のスキルを活かせる仕事がたまたま空き、今の県外の職場に行くことに決めた。
コーヒーを飲んで
秋田で苦労したのが嘘のように、今の仕事が楽しい。
もちろん、好きなことを仕事にする苦労はあるが、理不尽に怒鳴られたり、夜中まで半強制的に働かされたり、意地悪されて私だけ教えてもらえないなんてことは絶対にない。休みもくれるし、残業もほとんどない。人生が豊かになるような、いろんな経験をさせてもらえる。
卒業旅行どころか、家族旅行もほとんど行ったことがない私だが、今の仕事で念願の海外に行くことができた。今までだったら、海外行く金があったら、実家に返済していた。
そして、先月9月、ベトナムに行ってきた。
ベトナムに行ったら、ぜひベトナムコーヒーを飲みたいと思っていた。17年の間願っていた、『外の世界』の象徴であるコーヒーの飲み比べをしたかったのである。
いざ、実食!
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んーーー!美味しい!(笑)
美味しいけど、実家の母が淹れてくれたコーヒーも同じくらい美味しい。17年間待ち憧れていたコーヒーって、こんなものなのか…。と、笑ったのと同時に、心がスッと軽くなった。
こんなもんだよな…。
当たり前のことだけど、それを知れたのがとても嬉しかったし、今まで自分のコンプレックスだった、30歳まで住んだ秋田への憎しみもコーヒーとともに消えていった。
そんな中、出張先の飛行機✈️の窓から見た美しい故郷を思い出した。
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年末年始はコーヒー飲みに実家に帰るか。
そんな私の足取りは軽かった✨…と思う(笑)
ぐちぐちと、過去の話すみませんでした。次回は、お弁当づくり本編に戻ります🤣