2024年2月26日(月)
東日本大震災から13年目を迎えるにあたり、福島県の富岡・双葉・浪江へ伺いました。7年目にも、福島だけではなく、東日本大震災の被災地で入れる地域を巡りました。
今回は、2024年1月8日に開催された「令和5年度 東日本大震災アーカイブシンポジウム」をZOOMにて拝聴し、その際に案内のあったお祭りを拝見するべく、その日程に合わせて伺いました。
福島県 避難指示区域 2023年(令和5年)11月30日時点
日々、除染をされている方々は、極寒、あるいは酷暑の中でも、懸命にされています。しかしながら、以下のように、帰還困難区域が広いことに驚かされます。
震災遺構 浪江町立 請戸小学校
東日本大震災以前、浪江町には、町立の小学校が6校ありました。
請戸小学校は、1873年7月に浜谷氏宅に小学校が創立されたことが始まりで、その後5回の改称を経て、1953年10月に「浪江町立請戸小学校」となりました。
請戸地区は、海岸沿いにあり平坦な土地のため、津波による被害が大きかった場所です。海岸近くには、漁業を生業とされる方々の住居が多くあり、またその西側には、田畑があり、農業を営む方々の住居もありました。
請戸地区では、津波による死傷者が154名、また500の建物が失われました。一人でも多く避難させようとした方々も犠牲になりました。
請戸小学校は、海岸から約300メートルの位置。校長の瞬時の判断により、2年生から6年生までの82名の児童が、上着も取らずに、すぐに避難場所に指定された大平山へ向かいました。学校からは、北西に1.5キロメートルあります。大平山へ着きましたが、登り口がわからない。運の良いことに、スポーツ少年団に入っていた生徒が少し前にこの山へ登っていたため、登山口がわかったそうです。お話を伺った地元の方によると、あと10分遅かったら助からなかったと言われていました。
生徒たちを頂上まで連れて行き、その後、教員が請戸の海岸方面を確認したところ、津波の被害があまりにも酷いことに気がつきました。ここにいてはいけないと判断し、浪江町役場へ向かうため、大平山を越えて、数キロ山道を歩き、国道6号線まで辿り着きました。しかし、車が多く狭い国道で、寒いなか、幼い生徒たち82名を、ここからどうやって、役場まで連れて行けばいいのかと、一時、呆然としていると、突然、目の前に大きなトラックが止まりました。いわき市の運送業者の方が声をかけたのです。
「荷台に乗れっ みんな乗せて行ってやる!」
全員、荷台に乗せてもらい、役場まで、連れて行ってもらいました。そして全員が無事に避難することができたのです。
奇跡のような出来事でした。
この震災遺構 浪江町立 請戸小学校は、被災当時のありのままを残しています。私たちに多くのことを教えてくれます。ご自身で、ぜひ、体感してください。お子さまと一緒に、足をお運びください。
苕野(くさの)神社
苕野神社は、以下の由緒によると、1300年の歴史を持ち、五穀豊穣・海上安全・厄除け・開運招福を祈り、地元の方々の拠り所として、重要な役割を果たしてきました。
皆さまの氏神さまは、どちらでしょうか。都会暮らしの方は、氏神さまとの接点があまりないかもしれません。
幸いなことに、私は、物心つく前に、稚児をさせてもらい、その後、お田植え祭の早乙女もいたしました。子どもの頃は、その価値に気づくこともありませんでしたが、徐々にその重みは増してきています。昨年の元旦には、還暦のお祓いのために、同級生のお骨折りのおかげで、神社へ伺うことができました。
神社を核として、地元で脈々と受け継がれていく行事は、人の心の支えとなっていくのかもしれません。
安波(あんば)祭
300年の歴史のある伝統行事の安波祭。海上の安全、豊漁豊作を祈念しています。毎年、2月の第3日曜日に、苕野神社にて行われてきました。町の無形民俗文化財に指定され、芸能保存会の方々が必死に守っているお祭りです。浪江にお住まいの方が少ない中で、各個人で練習し、前日のリハーサルのみで、本番に臨みます。
今年は新社殿になって初めての安波祭、全てがとても立派に奉納されました。
まちづくりなみえ
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#富岡 _双葉_上記以外の浪江については来月以降に記載予定です
御礼
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ありがとうございました!