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残暑 お見舞い 申し上げます

夏の特別号 青ヶ島

2023年8月10日


 暑い日々が続きますが、皆さま、いかがお過ごしですか。
 猛暑、台風、お気をつけください。


 さて、今回は旅のイントロダクションです。
 旅の記事は、本にするか、どこかのサイトに掲載するかわかりませんが、いずれまとめるつもりです。しかし、身体がよく動くうちに、フィールドワークに力を注ぎたいので、まとめるのは、まだまだ先になると思います。
 どうぞ、お楽しみに。




青ヶ島

青ヶ島 大凸部から、カルデラの景色 カルデラの形状がよくわかります
青ヶ島といえば
この景色
二重カルデラ


 東京都心から南へ358キロにある島、青ヶ島。火山島です。令和1年8月1日現在、人口は170名で、日本で一番人口の少ない村です。

 先日、2023年7月26日から行ってきました。

 Topの写真をご覧いただければ、お分かりだと思いますが、砂浜はありません。海岸から、非常に険しい道となります。

 どこの島も水で悩むことが多いのですが、青ヶ島も水源が乏しく、水問題は深刻でした。そこで、外輪山の山肌にシートを貼って雨水を溜めた「向沢取水場」をつくり、その問題が解消されたようです。水道水をいただいていましたが、全く問題なく美味しくいただきました。

 青ヶ島は、焼酎をつくられています。せっかくなので青ヶ島で作られたもののみの材料で、更に熟成されたものを、少しだけいただきました。すっきりとした雑味のない味。丁寧に作られた自然の恵みの味ですね。


太陽の周りに現れる虹のような光の輪、ハロ(HALO)が出ていました。
ハロ(HALO)が出ていましたが、雨は降らず
島の神様に挨拶した後、一瞬みえました


鬼ヶ島


「保元物語(ほうげんものがたり)」にある源為朝が訪れた鬼ヶ島は、青ヶ島ではないかという説があります。 

源為朝の姿と鏡が祀られています。
源為朝
八丈島にて


女人禁制の島 男島

八丈島からさらに南へ六七キロいくと、青ヶ島がある。この青ヶ島の名は、八丈島から青ヶ島を見ると、海の上に青々として見えることによるという。一時、火山の噴火により、島民は八丈島に避難して無人島になったが、一八三五(天保六)年に帰島がかない、有人島に戻った。青ヶ島の伝説によると、ここは女人禁制の島だったとされる。そのため、別名を男島という。青ヶ島に対して、八丈島を女島(女護ヶ島)という。伝説によると、ここでは男女が同じ島に住むと、海の神の祟たたりがあるとされ、そのため、男は青ヶ島で、女は八丈島で暮らしていた。年に一度、南風が吹くと、男は八丈島への上陸を一夜限り許されて、八丈島の女性と契りを交わした。その後、赤ん坊が生まれると、男の子は青ヶ島へ戻され、女の子は八丈島の女の元で育てられたという。それにしても、なぜ男女が同じ島に住むと祟りがあるなどということになってしまったのだろうか。それは、中国の神仙家・徐福伝説に基づく。徐福は、秦の始皇帝の命により、紀元前二一九年、不老不死の薬を探して旅に出た。そのとき、童男童女数千人を供に従えて出航したという。ところが、途中で船が難破してしまい、徐福は紀州の熊野地方へ流された。徐福船団のうち、男たちが乗っていた男船は青ヶ島へ、女たちが乗っていた女船は八丈島に流れついた。この経験から、男女が同じ島に住むと、また海の神の祟りがあるに違いないということになり、別々の島に分かれて住むようになったという。また、この伝説は、司馬遷の『史記』にちなんだものだとされている。

雑学大全2
東京書籍 東京雑学研究会


「青ヶ島」という名について


 青ヶ島には、多くの島名があるようです。

 神々による十の島々の造立と命名で、特筆すべきは青ヶ島の名称である。「島の姿、王の鼻に似るとてわ(お)うこ島と名付けるなり」。
 「王の鼻」とは鼻高面のことで、平安時代に発祥した芸能=「王の舞」で用いられる。事実、『島々縁起』にゆかりの深い三宅島(御斎神社)では、昭和40年代頃まで「王の舞」が舞われており、伝来の鼻高面には「文明8年」の銘がある。
 『島々縁起』は文明年間の年紀をもつから(一説によれば鎌倉時代に遡る)、中世において青ヶ島は、「オウヶ島」(「ヶ」が「こ」音に転化)と呼ばれていたことが知られよう。けれども縁起成立の頃には、「オウ」の意味はすでに分からなくなっていたのだろうか。伊豆諸島屈指の芸能の島=三宅島に似つかわしく、そそりたつ形姿の青ヶ島に「王の鼻」のイメージを重ねた。中世芸能に引き寄せた異称で興味深いが、「オウ」(オフ)の原義にはほど遠い。
 江戸時代、近藤富蔵は、青ヶ島の異名として「男島(オノシマ)」「オフの島」「鬼ヶ島」「小鬼島(ヲガシマ)」「葦島」「青ヶ島」を書き留めている(『八丈実記』)。
 注目すべきはもちろん「オフ」の島だ。日本各地に「オフ」を冠した島や地名が見出せることから、「オフ」の解釈も一様でないが、私が惹かれるのは仲松弥秀の説である(「青の世界」、その他)。
 沖縄の島・御嶽・神名に付けられた「オウ」・「オフ」・「アフ」は、「青」で、葬地や死後の世界を表わす言葉という。古代沖縄の色彩観念は「赤・白・青・黒」の四つで、「青」は、黄泉国の「黄」と通じる薄明の色なのだった。(たしかに黄表紙本は「青本」と呼ばれている。)
 後生・あの世は「暗黒」ではなく、ぼーっとした「青の世」、この世と往来可能な「死者の往く安住の世界」で、やがてニライ・カナイと結びつくようになったとの考察は示唆に富む。
 仲松説に触発されて、かつての風葬の島奥武(オフ)島(久米島仲里村)を尋ね、また美濃の「青墓」、志摩の「青峯」などの地名を捜し歩いたのは谷川健一である。私が補うとすれば、島根県美保関に伝わる水葬儀礼の「青柴垣神事」だろうか。出雲神話の敗北王コトシロヌシの擬死再生を模した祭りで、神が籠って海に沈んだ屋形(殯装置)を、古代びとは「青柴垣(あおふしがき)」と表現した……。
 御蔵島と八丈島の間には、「黒瀬川」と呼ばれる7ノットの黒潮が流れており、帆船時代にはめったには渡れぬ海の難所だった。青ヶ島は、その八丈島のさらに先である。葬地だったわけではないが、「絶海の孤島」の姿形と位置に、人々は「かすかに現世と往来のできる」死者の国、「青の世界」のビジョンを描き、「青の島」の名称を与えたとは考えられないだろうか。
 ふと思うのだ。青ヶ島の存在理由は、「青の島」という名称だけで充分ではないか。「死」と「死を超えるもの」、そして「他界」が、現代人にとってなお思考の果ての地平、根源的な「場所」であるのならば。
 「絶島」青ヶ島をみはるかす──。青の世界へ向けて幻視の旅が始まる。
 

和光大学表現学部教授 山本ひろ子氏
南海タイムス


 

青ヶ島港(三宝港)


青ヶ島港(三宝港)

 厳しい港。クレーンで荷揚げと荷下ろしをします。海が荒れている時は、船も着きません。


坂 道


拡大してご覧ください
右上
遠くに白いガードレールとトンネル
それを登り、その先へ歩く

 写真を撮るので、レンタカーは借りずに、全て徒歩で移動。借りたとしても、道ですれ違えません。トンネルで他の車に出会ったら、バックして戻るしかありません。私には、そのような運転技術もありませんし、そもそもこちらの都合よく撮影のために駐車できる場所がありません。

 上の写真は、帰り道の途中の写真です。ここまでも、結構、歩いていますが、遠景でこの坂を見上げると、登り切ることができるのかと不安になりました。
 しかし、昔の島民の苦労を思えば、良くなったこの道の坂で、弱音は吐けません。
 そのようなことを考えながら歩いていると、夕日がさして、綺麗な雲が現れ、とても元気になりました。その後、難なく登りきり、岡部地区で夕焼けの撮影をしました。


青ヶ島郵便局からの葉書


オオタニワタリ


 青ヶ島郵便局から、暑中お見舞いのはがきを、友人たちに送りました。郵便局にはスタンプが用意されていたので、「オオタニワタリ」と「サクユリ(タメトモユリ)」のスタンプを押し、また窓口限定の風景印を押していただきました。
 サクユリは、形・色・匂いがとても良く、青ヶ島小中学校の校章にもなっています。

サクユリではなくササユリ
青ヶ島にて
すっきりとして、清楚で美しい

サクユリの特徴は、ヤマユリに比べて花も葉も大きく、花被に斑点がないこと
サクユリ
( 為朝百合 )
御蔵島にて
サクユリはカサブランカの交配親
花期は7月で、草丈2m、花径30cmになるものもあり、世界最大
非常に香りが強い
香りはカサブランカそのものでした


 
 早速、はがきが届いたと、友人から電話がかかりました。
「私にはダイヤモンドより嬉しい」とのこと。そのような喜びの言葉をきけて、私の方が嬉しい!




涼んでください
八丈島にて




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大谷翔平選手_お身体に気をつけて!_応援しています


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 昨日、宮﨑駿さんの『君たちはどう生きるか』を拝見しました。
 今までの作品のエッセンスが重奏され意欲的な作品でした。個人的にですが、シンクロニシティしていて、大変、勇気づけられました。ありがとうございます。
 ポスターだけの告知、理想的です。おかげで、何の先入観もなく、あるとすれば「青鷺」への自分の経験知からの想像だけで、映画を観ることができました。
 次回作も勝手に楽しみにしております。

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