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アメリカの大学でみた、人種問題のリアル

アメリカで、人種に関する議論がヒートアップしています。私はボストンに4年、サンフランシスコに3年、計7年間アメリカの都市部に住み、その間アメリカにおける人種のリアルが垣間見えた出来事が多々ありました。今回のnoteではこうした出来事についてまとめています。

人種のような複雑な問題にあっては、どんな情報も全体の断片図にすぎません。今回のnoteも、皆様にまたひとつ、新たな断片図として参考にして頂ければ幸いです。

あからさまな人種差別は、あったものの、少なかった。

7年間アメリカに住む中で、あからさまな人種差別に立ち会った回数は非常に少なかったです。あえて例外を取り上げ、状況が実際よりもひどいかのような印象を与えるのは本意ではありません。しかし、差別は本来1回でもあってはいけないこと。差別のなくなる未来を願い、以下書くことにします。

一番鮮烈に思い出すのは、アジア系アメリカ人の友人が大学のそばで、車とぶつかりそうになった時のこと。怒った車のドライバーは彼女に”go back to your country!”(自分の国に帰れ!)と怒鳴り、そのまま走り去りました。当然、見た目だけで人の国籍を判定することはできません(なお、ボストンは人口の9.7%がアジア系)。しかも相手は歩行者、自分は車で逃れるという状況下で放たれた、卑怯な一言でした。

この件について友人たちとあれこれ話をしましたが、皆「ここはボストンなのに、、ハーバードなのに、、」とショックを受けていました。そのとき私は、みんなここがボストンであることをやたら強調するなあ、と思いました。ボストンのような先進的とされる都市部でこうしたことがあったのが驚きなのであって、アメリカも場所によってはまだまだある話なのかなあと思ってしまいました。

もう一つ印象に残っているのが”yellow fever”(黄熱病)というスラングです。アジア人とばかり付き合う人のことを指すスラングで、黄色い肌の人にお熱だから、というのが由来のようです。肌の色を病気にたとえている、また人の好みを病気にたとえている、等の理由で不適切な表現です。みんな大人になるにつれて口にしなくなりましたが、大学に入って最初の1〜2年、私の周りでは使われていた言葉でした(高校のテンションの名残だったのでしょうか)。

1年生の頃、友人たちと喋っているときにこのスラングを教わりました。その時「ということは、俺もアジア人とばかり付き合ってるから黄熱病ということになるなあ」と言ったら、それは違うとのこと。「お前はアジア人だろう。アジア人とアジア人が付き合うのは普通だ。黄熱病とは言わない」らしいです。

白人がアジア人とばかり付き合うとスラングがあって、アジア人がアジア人と付き合うのは普通。公の場では誰も絶対に口にしない感覚です。アメリカにおける人種にまつわる本音・建前・感覚は非常に複雑なのだという洗礼として、よく覚えています。

人種によるかたまりがあった

先述の通り、あからさまな人種差別はごく稀でした。それよりも日々身近に人種を意識したのが、学生時代の友達グループができあがっていく時でした。

アメリカは人種のるつぼと言うが、各人種わかれて暮らしていて、サラダボウルとでも言った方が実態に近い。。。そんな話を日本の小学校だったか塾だったか、社会の時間に勉強した記憶があります。そのたとえをそのまま使うなら、キャンパス内のコミュニティは「るつぼ」的なものと、「サラダボウル」的なものの両方がありました。

私自身、仲良しだったいくつかの友達グループは、アジア人比率が高い「サラダボウル」的なグループでした。

こんな話があります。ハーバードは全寮制なのですが、1年目のルームメイトや部屋割りは大学が決めます。

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しかし2年目以降は、学生たち自身が仲良しグループ(8名以下)を作って、そのグループの名簿を大学側に提出。

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大学側は各グループを12個ある上級生寮(ハウスといいます)に、ランダムに振り分けるシステムになっています。

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なぜハウスへの割り振りがランダムなのか。昔は各仲良しグループが、自分の行きたいハウスの希望を出せました。しかしその結果、○○ハウスはLGBTQの人が集まる、△△ハウスには黒人が集まる、××ハウスにはアジア人が、※※ハウスは運動会の人たちが・・・と各ハウスに偏りが生まれていました(注1)。ハウスの多様性を保つべく、大学が学生の反対を押切ってランダム化に踏み切ったという経緯のようです。集団は放っておくと、サラダボウル化してしまうということなのでしょうか。

1年目の終わり、結局別々の仲良しグループに行くことになった友人に「あ、そっちのグループは全員アジア人?」と純粋な気付きを投げかけたことがあります。その友人は少々バツが悪そうに「そうなんだよね。来年以降はアジア人以外の友達も作らなきゃいけないなあとは思ってる」と言っていました。

ハーバードに来るような人は、みな多様な環境で自分を磨こうという、高い志を持っています。そして、「るつぼ」的な学生生活をまっとうする学生もいます。しかしその一方、やはり似たものどうしで寄り添う方が心地よいと感じ、志との狭間に悩む学生も多くいました。非常に高い志を持った、世界のトップレベルの学生でさえ心が揺れるということが、多様性の難しさ、人種というトピックの難しさを反映しているのではないでしょうか。

人種差別への風当たりは本当に厳しい

少しでも人種差別と捉えられうる発言・行動に対して、社会は容赦ありません。

こんな私の失敗談があります。私は学生時代ブレイクダンスをやっていて、3年生の時には部長をつとめました。

ハーバードでは毎年1回大きな発表会があって、大学中の音楽系・ダンス系のサークルがこぞって出演します。うちの部も、1年間の集大成として毎年気合を入れて出演していました。

私が部長だった年、例年と違って趣向を凝らし、パフォーマンスをストーリー仕立てにしてみようと提案しました。できあがったのは「マリオたち」と「クッパ一味」の2チームが、ダンスで戦うというパフォーマンス。私はピーチ姫に扮しての参戦です。

例年以上の出来栄えのパフォーマンスをひっさげ、満を持してオーディションに参加。オーディションの様子ももちろん撮影して、本番に向けて微調整を重ねるさなか、思いもよらなかった連絡が入ります。オーディションに落ちたというのです。

主催者側と話をすると、落選の理由は二つ。一つは、私がピーチ姫として女装していたのが、ドラァグクイーンの文化を馬鹿にしていると見做されうる。二つ目が、部の唯一の黒人のメンバーが、クッパ側(悪役側)にまわっているのが、黒人は悪者であるというステレオタイプを増長しうる。どちらも予想外すぎて私は何も言いかえせませんでした。

結局その年、私たちはその舞台に出られませんでした。また、部の唯一の黒人のメンバーはその後徐々に練習にこなくなりました(注2)。

この一件について、大学の友人の間でも意見が分かれました。「大学が言っていることはめちゃくちゃだ」という人、「まあ女装のパフォーマンスは、ちょっと違和感を抱いていたよ」という人、「唯一の黒人の彼がクッパ側なのは、まあ確かにねえ」という人。

余計なことをして部員に迷惑をかけたこと、周りを不快にさせたことがとにかく申し訳なかったです。また、アメリカにおける人種や多様性というテーマは大きく、根深く、複雑で、外国人が理解するのは本当に大変なことなのだと再認識させられました。

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繰り返しになりますが、この記事もまた、非常に複雑な問題のほんの一断面図にすぎません。それでも、皆様がこの問題に対する理解を深めて頂くことに一役買えたのであればとても嬉しいです。

(注1)かなり古いですが、ハーバードマガジンにこの件に関する記載がありました。https://harvardmagazine.com/2001/11/housing-after-randomizat.html 私が学生時代キャンパスで聞いていた話と内容が一致します。

(注2)オーディションに落ちた一件と、彼が練習に来なくなったことの因果関係は、今となってはわかりません。あったのかもしれないし、なかったのかもしれない。

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