「消えた答案」
名門・紫陽花学園の期末試験が終わった翌週の月曜日、学年主任の田島先生が真っ青な顔で職員室に駆け込んだ。
「大変だ!3年A組の答案が全部消えた!」
答案が保管されていたのは、試験期間中だけ使われる「答案保管室」。普段は使われていない旧図書館の一角を、試験期間中だけ答案を管理するための部屋として利用している。試験が終わるたびに、担当教師が答案をまとめ、保管室の専用金庫に入れるのが規則だった。金庫は指紋認証式で、登録された教師しか開けられない仕組みだ。
しかし、その「完全に安全」と思われていた金庫が、何の痕跡も残さず中身を失ったのだ。学校中が騒然となる中、3年A組の生徒、七瀬優菜は一人だけ目を輝かせていた。
「面白いじゃん。完全密室ってやつだね。」
「お前、楽しそうだな……。」隣に座る親友の大地が呆れ顔で言う。
「だって謎があるんだもん!こんな事件、絶対解き明かしたい!」
こうして、推理小説オタクの優菜は、今回も事件に首を突っ込むことになった。
優菜は答案保管室を調べるため教師たちに許可を取った。保管室の金庫や周辺には目立った損傷はなく、完全密室での犯行に見えた。
その日の放課後、優菜は化学部に所属するクラスメイトの水野有希を訪ねた。水野は試験期間中にもかかわらず、理科室で何かの実験をしていたという話を聞いていたからだ。
理科室で実験器具を扱っていた水野に優菜が声をかけると、水野は一瞬驚いたように振り返った。
「有希ちゃん、こんなところで何してるの?」
「え、ああ、ちょっとした部活の研究よ。化学の先生が教えてくれた特殊な薬剤を試しているだけ。」
「特殊な薬剤って?」
「物質表面の模様とかを転写できるやつ。まあ、説明してもわからないと思うけど。」
水野の言葉に優菜は引っかかりを覚えた。
(表面の模様を転写?もしかして、それを指紋に応用して金庫を開けたんじゃ……。)
水野が怪しいと感じつつも、証拠が足りない優菜は調査を続けることを決意する。
翌日、優菜は新たな容疑者としてクラスメイトの浅倉夏樹の名前を耳にした。浅倉は美術部に所属しており、試験期間中に旧図書館近くで目撃されていたという。
「浅倉君、どうしてそんなところにいたの?」優菜が問い詰めると、浅倉は少し動揺した様子で答えた。
「……部活の材料を取りに行っただけだよ。」
「でも、試験期間中は部室を使えないルールだったよね。」
浅倉は目をそらしながら答えた。
「その……どうしても必要だったんだ。先生には言えないけど、締め切りが近くてさ。」
さらに、美術室で使われる道具の中に、指紋を再現できそうな素材が含まれていることが分かった。
「美術部だから器用だし、金庫を開けるトリックもできるんじゃない?」というクラスメイトたちの声により、浅倉への疑いが広がる。
優菜も浅倉に対して違和感を覚えた。
(確かに浅倉君は怪しい……でも、美術部の道具をそんなふうに使うなんて考えられる?)
優菜は水野と浅倉のどちらが犯人なのかを判断できず、頭を抱えた。
「どっちも怪しいけど、どっちも決定的な証拠がないんだよね。」
「なら、片っ端から証拠を集めるしかないだろ。」隣で大地が苦笑しながら言う。
翌日、田島先生から重要な情報を聞いた。
「実はね、金庫の痕跡を調べたところ、理科室で保管している特殊な薬剤の成分が見つかったんだ。」
その瞬間、優菜はハッとした。
(やっぱり有希ちゃんの薬剤が使われてたんだ!でも、それだけで犯人と決めつけるのは早い。)
一方で、浅倉が答案用紙を偽造しようとしていたという噂も聞いた優菜は、二人を対峙させることにした。
放課後、優菜は水野と浅倉を答案保管室に呼び出し、二人を追及した。
「有希ちゃん、実は理科室で有希ちゃんが試していた薬剤、それが金庫で使われた痕跡を見つけたって先生が言ってたの。説明してくれる?」
水野は動揺しながらも反論した。
「私じゃない!確かに薬剤を試してたけど、それが金庫に使われたなんて……。」
一方で、浅倉も疑われていると知り、声を荒らげた。
「わざわざ呼び出すから何かと思ったら、ふざけるな!俺は関係ない!俺は部活の道具を取りに行っただけだ!」
優菜は二人の言葉を聞きながら、事前に集めた証拠品を取り出した。それは、答案保管室の金庫近くで発見された、小さな透明のフィルムの切れ端だった。
「これ、見覚えない?金庫の近くに落ちてたんだけど。」
水野はそのフィルムを見た途端、顔色を変えた。浅倉は怪訝そうにフィルムを見つめている。
「これ、有希ちゃんが理科室で試していた薬剤を塗ったものよね?」優菜が追及すると、水野は言葉を失った。
優菜はさらに畳みかける。
「金庫を開けるには指紋認証が必要。でも、その指紋は教師だけのもの。それを突破するには、教師の指紋を正確に再現する必要がある。有希ちゃんは、その薬剤を塗ったフィルムを使って、金庫を開けるために教師の指紋を転写したんだね。」
水野は必死に否定しようとしたが、優菜は事前に集めたもう一つの証拠を取り出した。
「これを見て。ここに指紋を転写する実験をした跡がある理科室の写真があるの。しかも、先生に確認したら、その薬剤を扱っていたのは有希ちゃん一人だけだった。」
水野はとうとう観念し、うつむきながら小さく呟いた。
「……そうよ。私がやったの。でも……そんなつもりじゃなかった。ただ、みんなの期待に応えられない自分が許せなくて……。」
水野の動機は、学級委員長としてのプレッシャーだった。クラスメイトたちの中で一番成績が悪くなるのではないかという恐怖心が、彼女を追い詰めていた。そして、試験をやり直すことで自分を立て直す時間を稼ごうと考えた結果、答案を盗むという行動に至ったのだ。
水野の告白により事件は解決した。教師たちは水野を厳しく叱責したが、彼女の抱えていたプレッシャーを知ったクラスメイトたちは、彼女を責めるよりも励ます道を選んだ。一方、浅倉の疑惑が晴れたことで、彼もようやく心の平穏を取り戻した。
帰り道、優菜と大地は夕焼けの中を歩きながら話していた。
「完全密室事件の犯人がクラスメイトだったなんてね……。でも、なんで優菜は最後まで諦めなかったんだ?」
「だって、謎が解けないのは気持ち悪いじゃん!これからも面白い事件が起きるといいな。」
「いや、もういいよ!」
二人の笑い声が響く中、紫陽花学園に平穏が戻ったのだった。