先輩を手伝ったり、後輩に手伝ってもらったり、
この前訳あって1個下の後輩を4人集めたことがあったが、類は友を呼ぶとは言ったもので、なんだか生意気でヘンテコで勘は良さそうなデコボコした4人が集まった。おまけに全員Twitterがアクティブな人たちで、偶然にしては出来すぎてるなと思ったが、きっと僕もそれほどに変なオーラを出しているのだろう。
建築学部は特に奇妙なもので、上下や横の繋がりがやたらと広がりやすく、交友も他の学部に比べて遥かに広くなりやすい気がする。先輩のお手伝い、後輩にお手伝いしてもらうことが、そのまま伝統として学校にあるのは厄介ながらありがたい話だ。デザインの授業なので、もちろんその分苦しく嫌になることも多いが、基本的に友達や知人がたくさんできるのは楽しい。良くも悪くも建築学部内で繋がりやコミュニティは足りてしまうので、割と閉鎖的になってしまった時期もあったりなかったり。
僕がちょうど2年前に建築学部に入学してからというもの、ありがたいことに頼りにしてくれている後輩が少しいたり、頼りにさせてもらっている先輩が沢山いたりする。とは言っても学部1年になった時は食わず嫌いしたせいで、建築系サークルに1つも入らなかったし、新歓も行かなかった。当時は建築にそれほど興味があったわけでもなかったし、なんならちょっと尖ってたし。でも、追々できた友人の多くは大学の「空き家改修プロジェクト」という精力的な学生施工団体に所属しており、そのコミュニティから異様なスピードで人間関係を広げていく友人らに焦りを覚えていた。そんな刺激もあって、1年後期からはほぼその反骨心だけで学内コンペや卒制のお手伝いや、とにかく色んなところに顔を出すようになっていき、なんだかんだ色んなところに知り合いができた。気になる先輩や仲良くなりたい先輩がいたら、割と恥を忍んで突撃していた気がする(思い出したくない)。
しかし他人にやったことというのはいつも自分に返ってくるもので、オープンスペースでコンペの話し合いをしていたら突然話しかけられたり、知り合ってからというもの会う度にだる絡みをしてきたり、最近は一部のもの好きな後輩達に目をつけられるようになってしまったようで、かなり困っている。
学部1年の時から2年連続で卒業設計のお手伝いはしっかり参加している。
1年生の時はなんとなくお祭りに行くような気分で、学内コンペで見つけた僕好みの設計観を持っていた先輩のお手伝いに行っていた。1年生は模型くらいしか手伝えることもないので、行く度にすみっこでチマチマと模型を作らせてもらっていた。その先輩はどこか抜けている魅力的な人で、いつも危機感無さそうに「どうしよー」と言っていたのをよく覚えている。そんな先輩は学部1年ながらに力になりたくなってしまうわけで、割と提出締め切りまでしっかりお手伝いしていたような気がする。なんだかんだ設計観では一番影響を受けている先輩なのではないか。
2年時の卒業設計のお手伝いは記憶に新しい。その先輩とはそれなりに長い付き合いになっており、技術やらエスキスやらで色々と面倒を見てもらっていたため、返しきれないほどの恩が溜まっていた先輩だった。なのでまた提出締め切りまでしっかりお手伝いしていた。2年生になってもお手伝いの内容はほとん変わらず、すみっこでひたすら模型を作っていたような気がする。今回は終盤に泊まり込みで作業をしていたりもしたので、去年よりは先輩に近い場所から卒制を見ることができ、卒制とは中々にヘビーで一辺倒ではいかないことをひしひしと感じていた。
まぁしかし冷静になってみると、先輩のお手伝いというのはいかにも奇妙だ。建築学部に入ってから盲信的にお手伝いに参加してきたが、その時間アルバイトをすればそれなりに大きな額が手に入るし、自分の作業をすればそれだけ実績が積もっていく。にも関わらず、いくらかのお菓子とその日の夕食を引き換えに、多大な時間と労力をかけて社会に出れば同期に分類されるような大して歳も変わらない先輩に尽くす。
設計事務所のインターンに行った時、そこの建築家さんに「インターンの子に任せられることと、アルバイトの子に任せられることって違うと思う」という旨の話を聞いた。アルバイトは給料を渡している分、単純作業も任せられるが、インターンは責任もなければ報酬を渡しているわけでもないので、単純作業はあまりさせられないけれど、何か学びと繋げながら普通だったらできないような経験をさせてあげられるのではないか、という建築家さんの計らいだった。全くありがたい話だったけれど、そういう意味で、お手伝いは半ばアルバイト的な作業をほぼ無報酬で任されるわけで、ある意味では先輩の目的達成の駒のように働くことが多い。
そうは言っても、1人の先輩につきその作品の一部に関わらせてもらうことは、言葉以上に強いインパクトがある。ほぼ無報酬で1人の先輩に多くの時間と労力を使うという恐ろしい程の非効率さは、もし利己的に自分の利益だけ考えたとしても割と大事なことだという気がしている。既に知った気になっている見たことのあるような技術や学びが身体化するという話ももちろんそうだが、何より当事者としてそこにいさせてもらい、そこにある唯ならぬ空気を味わうことは、他にとって代わらない経験で、いつかのなにかへの布石になっているように感じている。またそんな感覚が、どこか快楽であったりもして。
逆に一度だけ、後輩にお手伝いを頼んだことがある。2年後期最後の設計課題で久しぶりに沼ってしまい、締め切り1日前の時点で平面図だけがようやく書き終わったという絶望的な状況に陥っていた。僕はいつも設計課題の進みが遅く、その皺寄せで締め切り前はいつも過酷な追い込み態勢になってしまう。でも絶対に形にして提出はしたいと思っているので、締め切り前はかなり根詰めて作業しているが、その追い込みが異様すぎることで、友達からその様を「狂気」と言われている。いつもはギリギリ間に合わせていたが、その時ばかりは本当に終わる気がせず、提出必須の模型が特に鬼門だったこともあり、滅入ってしまっていた。偶然その日に購買で遭遇した知り合いの後輩に流れでお手伝いをお願いして、2人の後輩が校舎が閉まるまで模型を手伝ってくれた。頭を抱えていたら、普段はお手伝いしている側の1つ上の先輩まで手伝いに来てくれ、後輩たちのご飯を差し入れしてくれたり、模型を手伝ってくれたり、「絶対終わらせられる!」と励ましてくれたり。そのお陰で、少しだけ提出に間に合う可能性が生まれ、お手伝いしてももらった手前「おわりませんでした。」なんて結末も許されず、あとは「狂気」でなんとか終わらせた。あんまり記憶は残ってないけど、結果はなんとA+、信じられない。流石に詰めが甘くて発表はできなかったけど。
滅入っている心というのはスポンジのように感情が敏感になるようで、人の優しさをしみじみと感じて、校舎が閉まった後に転がり込んだ大学近くのネカフェで作業しながら普通に泣きそうになった。あまりに露骨なまとめになるけれど「困った時はお互い様」というわけで、普段閉じこもってしまいがちな僕が度々忘れかけている人の温かさを思い出させられたりした。学部2年をお手伝いするなんてよくわからない話だけど、快く引き受けてくれた2人には感謝してもしきれない。
この間、学部3年生になったことで使用可能な製図室のスペースが割り当てられた。そこは最高に質の良い建築学科専用コワーキングスペースのようなところで、露骨にテンションが上がりながら作業をしていたら、偶然知り合いの先輩に声をかけられて、そこにいた4人でカタン(ボードゲーム)をやることになった。僕は瞬発力が必要な画面切り替わりの激しいゲームがことごとく苦手なので、昔からカードゲームや卓上ゲームが大好きだった。高校生の時なんかはポケモンカードやシャドウバース、その他卓上ゲームにどハマりして昼夜対戦に明け暮れていたりもして。授業期間が始まっていなかったこともあり、スッカラカンだった製図室で突如始まったカタンはその時の記憶を思い出させて、少しほろ苦い思い出が蘇ってきて冷や汗をかいていた。まだ使い始めて間もないが、きっと建築学部と同様に製図室も奇妙な場所なのだろうと思う。まだあまり使われ始めていない製図室の片隅で、建築学部の奇妙さの縮図のようなものを見ていた。
今回は割と建築学科色が強いnoteになってしまった。あえて少し脱線するなら、どうやら「お手伝い」という文化は建築学部だけでなく、広く括ると美術系学校の特徴でもあるようで、多分巷で「見て盗む」と言われるような考え方、ハウツーから生まれた文化だと勝手に予想している。この面倒臭くやや心地悪いような建築学科の特徴の中で学んでいく、非効率な学びや鬱陶しい関係性が生み出すものは、「お金が」とか「時間が」とか「面倒で」とかでは語れない、得体の知れない強さを持っているような気がしている。もし他学部の人が読んでくれていたら、お金や時間や腰の重さとは違った軸で、自分のリソースの使い方を考えてみるのは面白いかもしれない。(お前誰だよ)
だから、このどうしようもない伝統を守りつつ、今年も1個上のお世話になっている大好きな先輩の卒業設計をお手伝いをしようと思っている。 またいつか僕が後輩にお手伝いをお願いする時が来たら、それなりに学びや出会いがある環境を作れたら良いな、と思ってはいるけれども...
【4/10 追記】
今から書く話は、公で見えるところに晒すのは野暮な気もしているが、僕が忘れないためにこのnoteの文脈の中で一度書き留めておきたいと思う。
今年卒業設計のお手伝いをした先輩の打ち上げで、お礼という体で1冊本をもらった。そんなそんな、という感じだがありがたく受け取り中身を確認すると、僕が何度も何度も読み返している建築学科に入ってから一番大切にしていた風景論の本だった。既に手元に置いてあり、沢山書き込みもしている本で、その本のことを一度も先輩に話したことはなかったが、「半田君に合ってそう」という理由でこの本を選んでくれた先輩に感服した。「被ってしまってごめん」と仰っていたが、正直他のどんな本を貰うより嬉しい。本自体は2冊に増えてしまったので、大事に本棚で保管してもいいが、誰か大切な後輩や風景論に興味を示してくれる後輩が見つかったら受け継ごうと思っている。
正直今年の卒業設計お手伝いはかなり多難だったと思う。なんなら客観的にも主観的にも製図室の中で一番苦しいブースだったような気がする。それだけ色々な問題も起きたし、何か大切なものが崩れ落ちていく音を何度も聞いた。自分なりに何かサポートできないか考えて、あまり迷惑にならない程度にやれることはやったつもりだけど、どの程度意味があったかはいまいちわからない。このブースでお手伝いをやっていなかったら、おそらくこの文脈でnoteに思考をまとめていないとすら思う。そういう無茶苦茶なブースにいたからこそ、碌でもないお手伝いという文化を踏襲していきたいと改めて考えている。別に僕は人望を集めるタイプでもなければ、カリスマ性に富んだ人でもないけど、今なんとなくそんなことを考えながら学部3年生の初授業に遅刻している電車に揺られている。