宇宙を目指した少年のイマ |自己紹介(しくじり先生風)
Hello, Sekai.
どうもhirohisaです。
私は今年で30歳なのですが、節目の年、ということもあり
ここで改めて自己紹介と個人的な振り返りでもしようかなと思います。
2024年現在、私自身はフリーランスという立場でエンジニアの仕事をさせていただいております。フリーランスとはいうものの、業務委託でして平日9-18で働く方と何ら変わりません。ただ、私自身はこの仕事を心から愛しており、この生活させていただけることに大変感謝です。また、フリーランスと同時に会社も立ち上げました。こうしたい、ああしたいと色々考えはあるものの、フリーランスの傍でゆっくり進めていこうかなと思っています。
性格はといいますと自分では認めたくない部分もありますが、ややHSP気質で社会に馴染めなかったり、一たび何かあれば
「世界なんてどうでもいいや。」
みたいに閉店ガラガラ誰も受け付けません。みたいな感情になったりして、自分自身30歳まで生きれたことが本当に不思議なくらいです。
16タイプ診断もINFJで、人に心を開きづらい。だとか一人が好きだ。とか当たってる!とか思いつつも、疑い深い性格なもので、もてはやしコンテンツだなーと思ったりもしています。こんな人間もいるんだなくらいで、軽く受け流していただけると嬉しいです。
ただ、昔よりはほんのちょびっとだけ世界に対する向き合い方が変わったところもあり、そんな部分も少し書いて伝えていければなー。なんて思います。
具体的には、「この世界クソゲーやん」から「自分次第で良ゲーになりうるか」と思うくらいにはなりました。変わったとか言っときながら、いまだに「この世界からいなくなりたい。」なんて思ったりもしますが、多少マシかなとは思っています。
自分を公開することって、個人的にはかなり気のいる作業です。
なんせ、静かに生きたいタイプなもんで
メンタル強くもないのになぜこんなことをするの?
と問われても私自身ナゾです。
ただ興味と恐怖の感情を比べた時に、やや興味の方が勝つことがあるといいますか、本当に天気の模様みたいな話です。
あと、同じような境遇や性格の人がもし万が一にても見てくれて、ほんっの少しでも癒やしなれたらなーなんて思います。
しくじり先生風に見ていただけたら幸いです。
幼少期
私は東京の三鷹というところで生を受けました。
生まれた当時はまだ近くに畑も多く、のどかなところで、
今思えば、とても過ごしやすい環境だったのかなと思います。
家族構成は、両親と六つ上の兄が一人と三つ上の姉が一人、五人家族で暮らしていました。姉とはしょっちゅう喧嘩していて、食べ物の争いになるともう大変。グーパンの喧嘩もしてました。
幼少期の当時は、とても甘えん坊で、兄にひっついていました。
そんな兄の影響もあり、機械とかロボットが好きになります。
とりあえず、人型ロボット作りたいと思い、算数とか理科も好きだったので
勉強しながら、不自由なく過ごします。不自由なくって書けること、本当に両親には感謝です。
三鷹の近くにJAXAの研究施設があるんですね。そこで毎年1回開催される公開イベントなんかは好きで、たまに行ってたりしました。飛行機とか海洋の研究とかそんなものに興味を持ったのを覚えています。
当時、というか今でもですが、運動できなかったので、宇宙飛行士は無理だなーとか考えて、生きてるうちに宇宙にでもいってみたいもんだと思った少年僕は自分で宇宙船を作れば良いんだーと思って、誰でも宇宙に行けるような宇宙船作れば、軟弱な自分でも宇宙に行けるじゃんと夢想したのです。
といいつつも自分でも夢想だなとわかってたもので、ちゃんと勉強はしとこと思ってました。
そんなこんなで中学高校と勉強をやりながら、友達と遊びながら、現実逃避もしながら、大学受験に精を出します。
みんなそうだと思うんですけど、夢と言えるほどのものじゃなかったです。
大学時代
勉強の甲斐あってか、航空宇宙工学を専門とする大学に入学することができました。そこで、Cansatと出逢います。
みなさんご存知のCansatです。
…すみません。説明します。
Cansatは、大学版の衛星とも言われるもので、超小型の模擬衛星です。 人工衛星といえば通常、研究機関や大企業などが5年くらい時間をかけて制作製造し、多くの試験を経て宇宙に打ち上げられるものが一般的でした。 ただ一度失敗したら終わり、要件も多く製造コストが高いということが欠点。そこで生まれたのが小型衛星の概念です。機能を制限し、量産して打ち上げることで、要件を担保しつつ、製造コストを下げようという試みです。現在では、皆様ご存知のSpaceXがこの方式で衛星の打ち上げに成功しております。
気になる方は、コンステレーションなどのキーワードでググってみてください。
私が在学していた当時、大学レベルでは大型衛星を製造することは多くの面で難しかったため、研究向けに超小型衛星を製造するという試みが多くありました。東京大学、東北大学などが有名で、多くの大学が超小型衛星の開発に従事していたのではないかと記憶しています。
さらにこの衛星を空き缶サイズ(Can)にしようという発想で出てきたのがCansatです。現在では大学教育向けのツールキットとしてよく知られており、大学連携でARLISSという自ら開発したCansatでミッションを達成するという大会も開催しています。
そんなこんなで大学時代にCansatに出逢った私は、衛星開発に従事していました。燃え尽きを発症しつつも、衛星開発という作業が個人的には好きでした。将来、衛星開発を行なっている企業に就職できたらななんて夢想していたくらいです。
同時期に衛星開発とは別に、宇宙開発をテーマにしたカンファレンスイベントの運営にも参加しておりました。これは年一で行われるイベントで、運営主体は学生。法律や政治、ビジネスなど、さまざまな観点から宇宙開発を考察するイベントでした。これが結構大変でして、詳細は割愛しますが、学生団体の代表も務めた時期もあり、とてもしんどかったのもよく覚えてます。当時は本当にしんどかったのですが、今では笑って話せるくらい良い思い出ができたなとも思っています。今でもそのイベントは続いていて、かれこれ20年くらいの歴史があります。
大学院に進学したタイミングで、改めて自分の進路(就職先)についてよくよく考えました。
順当にいけば、衛星開発を行う会社だったのですが、、
「自分そっちの道、違うな。」
と思ったのです。
その理由が、いくつかあり
論理的だと思える説明は、古き良き会社の社風は自分の性格に合わない。というのと、将来にある程度の不確定性を持たせたかった。完全に進路がぎっちり決まることを避けたかった。というものです。
そして、どちらかというと強かった感情的な理由、
「本気で宇宙やりたいなら、そっちじゃなくね?」
です。
要は、今まで衛星作った実績のある会社が進路先には浮かぶのですが、
自分が本当にやりたかったのって、定型的な衛星開発じゃなくて、人類の宇宙進出みたいなワクワクすることだったんだってことなんですよね。
(誤解なきようなのですが、衛星開発って難しくて大変な作業なので関わっている方々に対しては本当に尊敬しています。)
こうなると自分は0か100かみたいになってしまうんですけど、
自分がやりたい宇宙の道を探すべく、宇宙の道を離れることにしました。
そんな啖呵を切っても、起業なんか自分にはできない。って思ってたのをよく覚えています。
それと同時に一人卒業旅行で神社巡りして、宇宙の企業を作るんだと祈ったのも覚えています。そんな優柔不断で、人の前に立つとすぐにアガってしまう自分が、なぜ起業できたのか。今でも不思議です。
そして、悶々と悩んで決めたのが白い犬の携帯会社への就職です。
当時の自分は色々な機会を求めてました。知らない世界をもっと知りたいという感情です。多くの機会がこの会社にはあるんじゃないかなと思っていました。
結果この会社には、大変お世話になりました。ここに就職したおかげで畑違いのITのイロハを学ぶことができましたし、今こうやってエンジニアを続けていられるのです。ありがたやぁ。ありがたやぁ。
不思議なコミュニティ
社会人になって2年くらい経った時のこと、
知り合った方から、とあるコミュニティに誘われます。
起業家を育成するコミュニティがあるということです。
当時、起業などに興味があった無知な無垢な私はこの団体に入ることになります。
後から振り返ると、この団体めっちゃやばいなってことに気がつくのですが、当時の自分はそんなことわかりません。
その内容について詳細に伝えることはできないのですが、当時では考えられないほどの大金を使った一方で、多くの世界の見方も手にすることができました。本気で自分に向き合ったのもこのタイミングでした。
2年くらいこの団体に在籍してました。
当時のことを考えても絶対に戻りたくないのですが、そこで大切なコトをもらったのも事実なんです。なので、ヤヴァイ団体だったのはそうなんですが、悪くもあまりいいたくないっていう気持ちもあります。
そこで、やばい2年を過ごしたものの運が良かったことに、今まで付き合ってきた友達を失うことはありませんでした。今でも仲良くしてくれる友達には、ほんんっ当に感謝しています。マジで頭上がらんです。といいつつ、とてもこんな気持ちは恥ずかしすぎて伝えられないんですけど。いつか伝えるべきタイミングで伝えられたらなとは思っています。てへぺろ。
フリーランスしながら起業。
フリーランスの傍で自分で色々と事業をやってみようと思って起業しました。とは言ってもマイペースで進めるつもりの会社です。売り上げも対して立ってません。いつか大きくしてやろうという野望めいたものはありますが、ゆっくりゆっくり育て上げられたらなと思っています。
まだ色々と諦めてない自分がいます。
やってやりたい想いもあります。もちろんアイデアもあります。
どうなったっていいや精神でやってる部分もあります。
特に有名になりたい。とか、誰かに認められたい。みたいな欲求はあんまりないので、別に誰に伝えるでもなかったんですけど、
ただ正直今の思いとしてあるのは、
24歳の鬱屈としてた自分を救いたい。
って気持ちです。
正直、人生の意味とか持ってないです。
別に必要ないとも思ってます。
だけど、あの時の自分を少しでも救えたらな、そんな自分に変化できたらなと思ってます。
そして、現在。
フリーランス時代に出会った友人とサービス創りを始めています。
その友人もゆっくり大きくしていこうっていう気持ちで始めているので、
気が合います。ぶっちゃけ、とても楽しいです。
お目に触れる機会があれば、ぜひ使ってみてください。
今生きれていることに感謝が溢れます。
支えてくれた人にも感謝が溢れます。
今の当たり前って、やっぱり当たり前じゃないですよね。
そんなことを思いながら、これからも宇宙に向けて邁進してきます。
神様どうもありがとう。
そんなこんなで、健康的に毎日生きています。
こんな、どこぞもわからない馬の骨のことについて
ここまで見ていただいた方がいれば大変に感謝です。
本当に本当にありがとうございます。
別に僕は偉くもなんともないんです。ただ自分自身、自分のことを特別だとも感じています。それは誰もが特別で、一人一人が限りある命なんだからだと思います。
こんな僕にでも伝えられることがあるとすれば、
「見方変えれば、人生って割と良ゲーかもね」
ってことくらいです。
考えてみればとても単純なことですが、この世界は多くの幸せに溢れています。でも見方を変えれば、この世界は多くの不幸にも溢れています。両方事実だと思います。その時その時の感情とか見え方次第で、僕の世界もあなたの世界も変容します。だからこそ、幸せな方向に目を向けたいですよね。そうするには、結局イマを変えること、イマを愛することなんだと思います。
宇宙を目指した少年は今でも宇宙を目指しています。
しくじり途中かもですが、当時本気で宇宙をやりたいという願いが、
今の自分にも受け継がれていて、きっとこの先も繋がると信じています。
願いを実現させた自分がいるなら、どうか未来で待っていてほしい。
魔法の料理みたいな世界でまた会いたいな。
また会おう。
See you, Sekai.