#19 新興宗教2世信者でした②
私が早めに離脱しなかった理由
妹と弟がだんだんと行かなくなる中、私は母と一緒に集会に行き続けました。
なぜか?
母を喜ばせたかったからです。
弟、妹が離れていき悲しんでいる母を見て、なおさら私は悲しませてはいけない。と思いました。
エホバの証人はエホバの証人以外の人を「世の人」と呼び、世の人とは遊んだり交流してはいけない。と言われていました。
なので、だんだんとエホバの証人の中にしか友達がいない状態になります。
こうなるとますます辞めるのが難しくなります。
宗教から離れる=友達を失うことになるからです。
しかし、早めに離脱しなかった為に、結局はもっと母を悲しませ、自分を傷つけ、母から縁を切られることになります。
辛かったこと
エホバの証人は当時、戸別訪問と言って家を一軒一軒回って勧誘活動をしていました。
世の中のみんなを救う為、まだ真実を知らない人に真実を知らせる為に奉仕活動という名の勧誘をしなければなりません。
月に何時間奉仕活動をしたか報告もします。
これがとにかくイヤでした。知らない人の家のチャイムを鳴らして、出てきた大人の人に話さなければいけない。その家がクラスメイトの家だったりもします。皆、奇異な目で見てきます。
本当にイヤでした。
学校の友達と遊べないこと。
誕生日会に誘われてもいつも断らなければいけません。理由を説明したって変な子だと思われるだけです。
スポーツ系の部活動ができないこと。
運動部に入るとどうしても世の人との交流時間が長くなる為、禁止されていました。
私は運動がとても得意でした。
体育の時間、長距離も短距離もハードルも一位、幅跳びも陸上部の子より跳ぶ。水泳も得意でした。
反対を押し切って運動部に入ればよかった、と今でも後悔しています。
運動部に入って仲間と汗を流したかった。
排斥された理由
高校生になり、私も学校の友達と楽しく遊びたい。と思うようになり、自分がエホバの証人であることを隠すようになりました。
どうやって辞めようか考えました。
ただ、辞めたい。と言っても、毎日のようにいろんな人が訪ねてきて、あなたを思っている、戻っておいで。というようなことが繰り返されることはわかっていました。
友だちは大好きでした。なので友だちたちに訪ねてこられてNOという自信もありませんでした。
なので、スッパリ辞めるには排斥(罪を犯したものとして追放される)しかないと思いました。
排斥された人とはもう誰も関わりません。
排斥される為には、罪を犯さないければいけません。でも、法に触れるようなことをするわけにはいきません。
法に触れず排斥されるためには、婚前交渉しかない。と考え、排斥される為に婚前交渉をしました。
つづく