平凡を恐れるか、愛するか
日々、平凡である。
毎朝大体決まった時刻に目を覚まし、子供の食事の準備をし、顔を洗って着替え、仕事に出かける。
見かけ上は少し異なった内容でも本質的にはほとんど変わり映えのしない仕事をこなして家に帰る。
早く仕事が終わった日は、子供を風呂に入れ寝かしつけ、その後少しだけの自由な時間に読みたいを少し読んだり、学びたいものを学んだりする。
美味いものを食べているYouTuberの映像をぼんやり眺めながら寝る。
ぼんやりと考える。
平凡であることは非凡であることよりも幸せなのだろうか?あるいは不幸なのだろうか?
よくよく考えたら、これは平凡なのか?世界レベルで見たら相当優雅で幸せな非凡な暮らしなんではないか?
そもそも平凡、非凡の定義ってなんだろう?
特に答えは出ないし、答えが欲しいわけでもない。
どんな風に生きている人でも、それが毎日続いていけば平凡に感じるだろうし、私が考える平凡な暮らしも他人にとっては非凡な暮らしなのかもしれない。
私は私の暮らしを平凡だと考える、そして私は平凡を愛しているし同時に恐れてもいる。
平凡の中に小さな非凡を見つけ出すこと、それを面白がること。
小さな非凡を自分で作り出すこと。
そうやって、平凡を恐れたり、愛したりしながら生きていこうと思う45歳の冬のポエム。
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