この流れしかないでしょう。聴くほどに沼るエイミー・マン『バチェラーNo.2』
サブスクの時代。YouTubeの時代。
ラジオ、レコード、CDの時代だったら一生出会うことがなかった音楽に出会うことができる時代。
音楽を貪欲に追い求める若者だったら、レコード、CDショップを回ったり、エアチェック(死語か?)しまくったり・・・
そうすれば、自分の知らない未知のワクワクする音楽に出会えたかも。
今はそんなことしなくても、勝手に似たような曲や、同時代の曲、同じジャンルを候補に上げてくれる。だから、それを聴いていけば、どんどん世界が広がるって寸法。
良い世の中だよね。
アラカンになって、こんなにも聴く音楽の幅が広がったことは、今の時代に本当に感謝しかない。
でも、その分、曲やアーティストを噛み締めていない気もしている。
今、90年代中盤から後半に頭角を現したミュージシャンが好きで好きでたまらない。
ジュエル、フィオナ・アップル、トーリ・エイモス、ジョーン・オズボーン、ポーラ・コール・・・
みんな大好きだけれど、なかなかアルバム通して聴けないし、曲のタイトルさえわからなかったりする。
それは、通勤や作業中にながら聞きするから。
ながら聴きは、何十年も前のウォークマンの時代からあったけれど、それとはまた違う
「ジョンの魂」を聴くように、正座して聴こうとは思わないけれど、曲名やアルバムの流れ(この曲の後は、この曲!これがサイコー!ってな具合)さえ追えてないのは、ちょっとちょっとという感じ。
そんな状態だけど、今アルバムをヘビロテして、曲名まで覚えようとしているアーティストがいる。それはエイミー・マン。
最初、聞いたときは(サウンド的に)地味だなぁと。
だけど、いい曲書くなという認識程度だった。
「マグノリア」という映画に曲提供(というか、ほぼエイミー・マンの曲。この映画自体がエイミー・マンの曲からインスパイアされて制作されたものらしい。)のサントラから入ってしまったので、Save Meとか何度も聴いていたのだけど、なぜかハマらず。
でも、気になっていたのは確かで、定期的に聴いていた。
エイミー・マンの曲って、聞き流してしまうと、同じトーンなので、流してしまう可能性大。
でも、いつの間にか、ココロに染み渡って来ていたのだろう。
あるとき、アルバム「バチェラーNo.2」を聴いたら、もう、ハマるのなんのって!
もうそこからは、一直線(笑)
アルバム「バチェラーNo.2」は2種類あって、ひとつは自身が設立したインディーズのレコード会社「スーパーエゴレコード」から発売されたものと、映画「マグノリア」のみで提供されていた曲も含めて構成されたもの。
すべてのアルバムのクオリティが高いエイミー・マンだけれど、特にこの時期は素晴らしく、どちらのアルバムを聴いても深い感動をもらえるが、とにかく流れが素晴らしく、この曲順しかないと考えてしまう最初の「バチェラーNo.2」(ドードーという鳥が描かれているほう)が良いと思う。
まだまだエイミー・マンについては書き足りない、いや、まだ何も語ってないので(笑)、また書こうと思う。
日本の記事で枕詞のように使われる、「海外メディアから『ポール・マッカートニー、ボブ・ディラン、ブルース・スプリングスティーンと並び、存命するソングライターのトップ10に入る存在』『この世代で最も優れたソングライターの一人』 と絶賛され続ける現代最高峰の女性シンガー・ソングライター」とう称号は、あながち間違いではないと思っている。
よし、今日も聴くぞ!
アーティスト
Aimee Mann(エイミー・マン)アルバム名
Bachelor No. 2 or, the Last Remains of the Dodo(バチェラーNo.2)リリース
2000年