グライダー人間
人間には飛行機能力とグライダー能力があります。自分で物事を発明する事や発見するのが飛行機能力。受動的に知識を得るのが、グライダー能力です。両者は一人の人間に同居しています。グライダー能力なしには飛行の基本的知識は習得できません。
何も知らないで独力で飛ぼうとすればどんな事故を起こすかわからりません。しかし、現実にはグライダー能力が圧倒的で飛行機能力はまるでなしという優秀な人間がたくさんいる事も確かで、そういう人間も翔べるという評価を受けています。
職人の教育
学校の最優等生が必ずしも社会で成功するとは限りません。これはグライダー能力に優れていても本当の飛翔ができないからです。学校の中ではどんな状況でも教師の言う事を聞くグライダータイプの生徒に好意を持ちます。勝手な方向を向く事や、引っ張られても動こうとしないのは『欠陥あり』と決めつけられます。
教育は学校で始まったものではありません。いわゆる学校のない時代でも教育は行われていました。ただグライダー教育ではいけないのは早くから気が付いていたらしいです。まず教育を受ける側の心構えが違っていました。何としても学問をしたい、技術を身に付けたいという積極性が無くては話になりません。意欲の無い状態の生徒に教える程、世の中が教育に関心を持っていなかったからかも知れません。
それでは昔の塾や道場ではどうしていたのでしょう。入門してもすぐに教えるような事はしませんでした。むしろ教える事を拒みました。剣の修行をしたい若者に毎日薪を割らせたり、水をくませたり、挙句の果ては子守りまでさせる。なぜ教えてくれないのか、当然生徒は不満を抱きます。
これが実は学修意欲を高める役割をします。その事をかつての教育者は心得ていました。あえて教え惜しみをする。じらせておいてからやっと教える。といってすぐに全てを教えるのではありません。本当のところはなかなか教えません。いかにも陰湿なようですが、結局それが生徒の為になります。それを経験から知っていました。
秘術は秘す。いくら愛弟子に対しても隠そうとする。弟子の方は教えてもらう事は諦めて、何とか師匠の持てるものを盗み取ろうと考える。これが当時の教育の狙いでした。
師匠が教えをしないものを盗み取ろうと心掛けた門人は、いつの間にか自分で新しい知識、情報を習得する力を持つようになっている。いつしかグライダーを卒業して、飛行機人間になって免許皆伝を受ける。学問が強い因習を持ちながらも、なお個性を出しうる余地があるのはこういう伝承方式の中に秘密がありました。
学校では
学校はグライダー人間の訓練所です。飛行機人間を作ろうとはしません。グライダーの練習にエンジンのついた飛行機が混じっていると迷惑で危険です。学校では引っ張られるままにどこにでもついてゆく従順さが尊重されます。勝手に飛び上がったりするのは規則違反です。たちまちチェックされます。やがてそれぞれグライダーらしくなって卒業します。
優等生はグライダーとして優秀なのです。『飛べそうやないか。ひとつ飛んでみろ』などと言われても困ります。指導するもの引っ張ってくれるものがあってのグライダーなのです。例外はありますが、一般的に学校教育を受けた期間が長ければ長いほど自力飛行能力は低下するみたいです。グライダーでうまく飛べるのに危ない飛行機になりたくないのは当前でしょう。
学校はグライダー人間をつくるには適していますが、飛行機人間を育てる努力はほんの少ししかできていません。学校教育が整備されてきたということはグライダー人間をますます増やす結果になりました。お互いに似たようなグライダー人間になってしまうとグライダーの欠陥を忘れてしまいます。
指導者がいて目標が明確なところではグライダー能力が高く評価されますが、新しい文化の創造には飛行機能力が不可欠です。それを学校教育はむしろ抑圧してきました。急にそれを伸ばそうとすれば様々な困難がともないます。今は情報の時代です。グライダー人間をすっかりやめてしまうわけにもいきません。
それならグライダーにエンジンを搭載するにはどうしたらいいか。学校教育もそれを考える必要があります。コンピュータという、とび抜けて優秀なグライダー能力の持ち主が現れた今、自分で飛べない自力飛行能力のない人間はいつかコンピュータに仕事を奪われる事になるでしょう。