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作戦

戦争をするからには勝たねばなりません。過去に近隣の元ソ連邦チェチェンやジョージア等の国に侵攻して成功した経験があるロシアのプーチン大統領も今回のウクライナへの戦争を仕掛けた事で今はどのように終結させるのかを苦慮していると思います。

戦略論

孫子の戦略論で前提としているのは、それぞれ力に大差なくしかもライバルが多数いる状況でいかに勝ち残るかという戦略になっています。特に第3者に付け込まれない為の短期決戦とか要衝の地では外交に重きを置くといった発想にはその背後に潜んでいる第3者を常に意識するという複合的でダイナミックな思想が踏まえられています。

孫子以降現代に至る戦争の中でもナポレオンとかホーチミン、あるいはフォークランド戦争を遂行したサッチャーや湾岸戦争の最高司令官たちは孫子を実戦の教材としています。そういう点で東洋に誕生した戦略家の経典は現在でも生きています。

特に大切な事として孫子は戦争が終わった後の事を考えているし、またどの時点で終わらせるかという事を考えています。日露戦争の際、国民が思いもよらなかった大勝利に浮かれて『モスクワまで攻めていけ』などという世論が起こった時に当時の元老たちは逆に極めて冷静で奉天の大会戦の勝利は日本の限界と見定めました。

クロバトキンが兵を引いてしまい、それを追いかければ広大な国土を利用したロシア独特の消耗戦に必ず引きずり込まれる事を見定めて、あの時点でポーツマス条約を結びました。

戦術論

『作戦が通用するのは緒戦だけ』とは旧ドイツ軍参謀総長モルトケの言です。『敵も利口になり、作戦を変えてくる』太平洋戦争で日本軍は同じパターンを繰り返しました。夜の奇襲作戦で成功した味が忘れられず何度も同じ奇襲を敢行しました。毎夜繰り返される奇襲などありません。夜ごとに奇襲を掛ければそれは奇襲ではなくなってしまいます。

織田信長は破天荒な作戦ばかりした印象がありますが、実はそうではありません。桶狭間の戦いはたった5千の軍勢で2万5千の今川軍に奇襲を行い撃破しました。しかしその後の信長は兵力・物力共に相手を上回らない時は戦をしていません。『小よく大を制する』という奇襲の魅力的な罠にはまらなかったのです。

『勝つには自分より強い相手とは戦わない事だ』と宮本武蔵は言いました。織田信長は成功体験をアンラーニングしました。相手が公家風の今川義元だから勝てた。武田信玄には通用しない事を知っていたのです。戦は自分の作戦通りに進むとは限らないという事です。

経営の場合でも成功と言う甘い前例は多くの経営者がはまり易い罠です。時代が変われば消費嗜好も技術も変わってきます。過去の成功体験は過去のものです。過去に縛られて成功体験をアンラーニングできない会社は弱い。

目的と手段

手段はすぐ目的のふりをします。南のある港を占領しろという命令が下りました。日本のある戦艦がその港を占領に向かいました。この場合目的は港を占領するということです。現場に行ったら当然その港を守っている敵の戦艦がいました。

日本の戦艦が攻めてきたので敵の戦艦が迎撃し、戦艦同士の戦いになりました。たまたまその時日本の戦艦の戦力のほうが優勢で、敵の戦艦が港から逃げ出しました。

『さて、この戦艦はどうしたらいいのでしょう?』元々、作戦本部からは港を占領しろという指示が出ていました。ところが敵の戦艦が迎撃に出てきたので現場の指揮官は撃沈しろという命令を出しました。すると敵戦艦が逃げ出したので、どうするかと言われて、追撃しろという指示を出してしまいました。

追撃していったら、敵艦の逃げ足が予想より速くて敵の主力艦隊のほうまで逃げてしまいました。気がついたら敵艦隊に囲まれていました。それは半分偶然で半分は敵の計略でした。気がついた時にはもう日本の戦艦は火だるまでした。当然、当初の目的であった港の占領もできませんでした。

テヘランのダム湖にて

次に陸軍の場合ですが、現場にいない上層部の命令で、無茶な作戦をやらされると現場の隊長が青筋を立てて怒ります。『こんな馬鹿な作戦ができるか』というわけです。日本の作戦本部では等高線が無い地図が使われている事もあったようです。いわゆる机上の空論です。

それでも御名御璽(天皇の署名と公印)すなわち全ては天皇の命令ということですから、どんなに無謀な作戦でも拒否できません。それを後の時代になって『あれは無謀な作戦であった』と非難したりしていますが、当時命令は絶対だったのです。

現場を知らずに、失敗する可能性が高い命令を出すのですから愚かの極みです。軍隊の指揮系統の大元、参謀本部には秀才といわれる人間が多数いましたが、彼らが愚かなことが多かったみたいです。戦闘するのは連隊長以下第一線の指揮官と兵士です。彼らは実際に弾幕の下をかいくぐらなければなりませんから、考える事が理にかなっていました。

ですから上層部から無茶な命令が来ると彼らは腹を立てます。『とにかく前線に向かえ、武器以外は持たずに食料は現地で調達せよ』というような無謀な命令がよく出ました。軍の中枢部は軍官という官僚が支配する役人の巣窟で、戦闘経験のないような人が命令を出していました。この状況はビジネスの現場にも度々あります。

ウクライナ25州

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