朔太郎

「ふらんすへ行きたしと思へども
 ふらんすはあまりに遠し」
私の人生の中で、萩原朔太郎以前と萩原朔太郎以後とに分けることも可能である。例えば、「月に吠える」以前と「月に吠える」以後、「くさつた蛤」以前と「くさつた蛤」以後、のように。
「せめては新しき背広をきて
 気ままなる旅にいでてみん」
私は、「さびしい人格」のような作品に惹かれた。が、それだけが朔太郎ではないことを知ったのは、しばらく後のことだった。
「みずいろの窓に寄りかかりて
 われひとりうれしきことをおもわむ」
その一つが、この「旅上」という詩編である。私はこの詩を、「青猫」と同様に愛した。この詩人にまつわる、私の思い出である。
「五月の朝のしののめ
 うら若草のもえいづる心まかせに。」*

*荻原朔太郎「旅上」より

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