価値判断の権能
ドゥルーズ「差異と反復」の背表紙に、「差異を同一性から解き放ち」の一言がある。この背表紙の筆者を仮に高く評価して(実際にどうかはまだわからない)、プラス、マイナスの価値評価なしに、こう書き得たとしよう。つまり、差異がプラス、同一性がマイナスと短絡しなかったとする。
差異は、言ってみれば数多性や複雑性へとつながる。一方、同一性は、単一性や単純性をイメージさせる。「差異を同一性から解き放ち」は明快な言葉であるが、一つの問題は「差異」や「同一性」と言った言葉に価値判断を加えるかどうかである。こうした言葉、一般に名詞には、動名詞であっても、形容する名詞であっても、価値判断の権能はない。(ところで「形容する名詞」、「名詞の形容詞的用法」とは、例えば「ベッドルーム」のベッドや、「ペンケース」のペンなどである。ある意味では、「ペン」が「ケース」を「ペンのケースである」と判断しているが、価値判断とは違う。)
だから問題は、私たちが価値判断をするかということだが、ここでは私たちも価値判断を控える。