大事なのは「思いがけず利他」の利他ではなく「思いがけず」のほう。

中島岳志さんの書籍『思いがけず利他』という本が好きだというひとが、僕のまわりにはすごく多いです。

以前「オーディオブックカフェ」の中でもご紹介したことがありますし、Wasei Salonのなかでは読書会を開催したこともある本です。

この本を読み終えると、みなさんものすごく「利他」という概念に感化されるようで、そこから「利他」の概念に自然とハマっていく。

そして、一連の利他関連の書籍に触れてみて、逆にドンドン利他性がわからなくなる…という泥沼にハマるまでがひとつの鉄板コースのようになっていると思います。

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でも一方で、僕はこの本の一番の魅力というのは、思いがけず利他の「利他」ではなく「思いがけず」のほうだと思うのです。

なぜなら、いまの時代においては圧倒的に「思いがけず」が足りていないから。

「一体どういうこと?」と思われるかと思うので、今日はそれをなるべくわかりやすく書いてみたいと思います。

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この点、思いがけずの対義語は、「思いどおり」だと思います。

思いどおりとは、合理的に考えてその推論通りのことが起こること。

でも現代は、そんな「思いどおり」の推論から生まれる「利己」的な判断が、あまりに世の中にはびこりすぎているように僕には思う。

本当に大事なことは、なぜそんなことを行ったのか、自分でもわからない。そんな「混乱」のほうなんじゃないでしょうか。

なぜ、ここで突然「混乱」という文字を持ち出してきているかと言えば、昨夜、奥田知志さんの動画観て、本当に心の底から感動したからです。

奥田さんは聖書の中に出てくる「善きサマリア人」のお話から「愛っていうのは、本当はどこかで混乱している」と語ります。

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