魅力を無理やり浸透させる必要はない。魅力を知る者同士がつながるために。

最近の若いインフルエンサーのひとたちの発言を見ていると、「ひとりでも多くひとたちに、この考え方が浸透すればいい」「ひとりでも◯◯をする(になる)ひとが増えればいい。なぜならそれで私自身が救われたから。」というような目標を掲げるひとが多いなあと感じます。

自分自身がその魅力に気が付き、その魅力によって救われたと思っているのだから、当然といえば当然の目標の設定の仕方だと思います。

そうやって一人でも多くのひと、具体的には過去の自分と同じように悩み苦しむひとたちが、それによって救われて欲しいと願ってやまないというのは、人間の思考過程の辿り方として、ものすごく真っ当なことだと思います。

そして、それこそが「インフルエンス」するということでもある。

インフルエンサーという職業も、一般化してからもう十年以上経過し、これを見ながら若い世代ほどインフルエンスすることこそが「仕事」だと思われているフシがあるのかも知れないなあと感じます。

でも僕は、そのような「インフルエンス」には強い違和感がある。

それはなぜか?

今日はそのようなお話をこのブログの中で書いてみようかなと思います。

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