「問い」と「答え」は決してセットではない。「問い続ける」ことの重要性。

「問いと答えはセットで存在している」そんな無意識の思い込みが、現代人の中には非常に多いなあと感じています。

言い換えると、問いを立てること自体は、たしかに大事なことなのだけれども、だからといって答えは決して焦らなくてもいいはずなのです。

にも関わらず、問いを抱いてしまった以上は、答えを獲得しないと何か宙ぶらりんのように感じがして、落ち着かないという現象が、いま多くのひとたちの心の中に間違いなくあるなあと。

でも、繰り返しますが、問いと答えは決してワンセットじゃない。

問いを立てたからといって、答えを出す必要なんて全くないですし、無理やり何かしらの答えを出そうと焦ってしまうからこそ、その分、足元をすくわれてしまうことになりかねないなあと。

ーーー

では、なぜ僕らは「問い+答え」がセットだと、誤解してしまっているのでしょうか。

それは僕らが、問いと答えをセットで覚える「暗記型の学校教育」に染まり切ってきた弊害でもあるのだと思います。また、マスメディアや激情型のSNSにありがちな対立構造を煽る報道や、ジャーナリズムに常に晒されてきたからでもあると思っています。

「Aか、Bか?」という問いを立てて、二項対立で決めていこうとする選択肢の提示はまさにこの構造の産物そのものですよね。

それらは、学校側が自分たちに都合よく入学試験を行うためだったり、メディアが自分たちに都合よく耳目を集めるためののパフォーマンスとして開発されただけにも関わらずに、何かそれこそが「考える」ということの本質だと思わされてしまっているフシが、現代人の中には存在するなあと。

実際には、「問い続ける」ということのほうが、圧倒的に大切なことだと僕は思います。

ーーー

この点「100分de名著」ファンの中では、超有名な伊集院光さんの「問い続ける」ということ関する名言というものがあります。

ここから先は

2,903字

Voicyにて毎日配信している「鳥井弘文の旅と読書とweb3」のテキスト版になります。 https://voicy.jp/channel…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?