人生の賞味期限が切れたひとたちが、理想を失わない現実主義の道を歩むために。

8年ぐらい前に、「隠居系男子と天下統一系男子」というタイトルで、ブログを書いたことがあります。

ちなみにこれは当時書いていた僕のブログ名が「隠居系男子」という名前であり、そのブログ名に対して「対局にあるのは、天下統一系男子ですね」と読者の方にふと言われたことが、きっかけでした。

言われてみれば、確かにそのとおりだなあと。

自分ではそんなこと考えたこともなかったのですが、確かにこれは言い得て妙だなあと思ったので、当時その違いについて、改めて言語化してみるつもりで書いてみた記事だったんですよね。

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当時の内容を改めてここで少し振り返ってみると、その時に考えるきっかけをもらったのが、川上量生さんが書かれていた「人生の賞味期限について」というブログです。

このブログの中で、川上さんは「人生の賞味期限とは、勘違いをしたままなにかに異常な努力を注げる期間である」と語ります。

「人生の賞味期限」が切れてない人間というのは、要するになにも分かってない「馬鹿」のことだろうと川上さんは言い放っています。

「ただ、不幸なことに、人間とは多少の知性を持ってしまっているがゆえに、人生のどっかで自分の馬鹿さ加減にいずれ気づいてしまう。それに気づいてしまうまでが、“人生の賞味期限”ということだ」と書かれています。

非常に辛辣な言い方だとは思いつつ、これは紛れもない真実だとは思います。

詳しくは、ぜひ川上さんの記事も合わせて読んでみてください。

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この話は、いま読んでみてもまったく古びていないどころか、人生の賞味期限が切れたひとというのは現代には、さらに続出しているように感じています。

そして、まさにこの川上さんの記事の中で語られている違いが、「天下統一系」か「隠居系」かの違いだと、当時の僕は思ったんですよね。

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