敬語は「誰のために」に使うのか?
昨夜、Wasei Salonの中で開催された「家族と地元」という対話会イベント中で、僕の古くからの付き合いでもある、Wasei Salonメンバーでもありライターの三浦希さんに「敬語で話したほうがいいっすか?」って聞かれて「ご自由にどうぞ」と答えました。
そして、いまあらためて、敬語に関する僕の私見を、ここでもちゃんと述べてみたいなあと思いました。
きっと、これは意外と考えたことがないひとが多いと思う問いだと思うからです。
ーーー
まず結論から先に述べておくと、僕は敬語であるべきかどうかは、ものすごく形式的な話にすぎないと感じています。
本当に大切なことは、そこではない。本当に大切なことは「目の前の他者に敬意を払うこと」だと思っています。
他者に対する敬意と配慮があり、相手もその親切心をちゃんと感じ取っていれば、僕は形式は何だっていいと思う派です。
逆に言うと、常にその「目的」に対して忠実であれ!と強く思うんですよね。
ーーー
じゃあ、敬語というのは「誰に向けて」の敬意なのか。
ここが今日の一番の問いです。
「そんなのは当然だろう、自分が対話をしている相手に対しての敬意だ」と、多くのひとは思うはずです。
でも僕は、決してそれだけじゃないと思います。それと同じか、もしくはそれ以上に第三者、つまり社会や世間、そして死者なども含む「第三者への敬意」もそこに含まれてくると思うのです。
それは、具体的にはどういう意味なのか。
ここから先は
3,111字
「鳥井弘文の旅と読書とweb3」テキスト版
¥1,000 / 月
Voicyにて毎日配信している「鳥井弘文の旅と読書とweb3」のテキスト版になります。 https://voicy.jp/channel…
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?