「境界線」は明確にするべきか、曖昧にするべきか。

自分の中で、ずっと答えのわからない問いのひとつに「境界線は明確にするべきか、曖昧にするべきか」という問いがあります。

一般的に西洋的な考え方で行くと、境界線はなるべく明確にしたほうがいい。

そのほうがルールの適用範囲が明確になるからです。人々が判断に迷わなくなる。

一方で日本的な考え方で行くと、境界線はできるだけ曖昧にしたほうがいい。

里山や縁側などに代表されるように、境界線を曖昧にした空間であれば、人間だけでなく動植物も入り混じり、多様な生態系を構築することができるから、です。

そして僕はなるべく、境界線は曖昧にしたいと思う派でした。

でも、この考え方も一筋縄ではいかないよなあと最近は思っています。

あらかじめ明言しておきますが、今日何か明確な答えがあるような内容ではありません。

問題意識をみなさんと共有できたらなあと思っています。ぜひ最後まで読んでみてもらえると嬉しいです。

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まず、なぜ境界線を明確にすることがいけないのか。

それは、境界線を引くと、引いた時点で「必ずその境界線からあふれるひとが出てくるから」です。

そして、その外側にいるひとたちを福祉など救おうとするときにも、そこに「区別」の概念が生まれて、ときには「差別」まで助長してしまうことになりかねません。

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この点、「障害者アート」のようなものを無邪気に尊ぶ危うさというのも、ここにあるよなあと僕は感じています。

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