ケアしない勇気。

「利他」という言葉が、流行中の昨今。パートナー同士の間でも、それは例外ではありません。

家庭を省みずに、一生懸命に外で働き続ける旦那や、家庭の安定を求めて旦那の挑戦を否定するいわゆる嫁ブロックのように、いま考えるとありえないぐらい理不尽な理由や、利己的な振る舞いがパートナー間で長らく続いていてきたその反動でもあるのだと思います。

で、現代では逆に、パートナーのやりたいことをちゃんと丁寧に実現してあげないといけない、できる限り相手のお手伝いをして、相手の自己実現に協力しなくちゃいけないと思い込んでしまっている、そんな若い夫婦や、カップルが多いなあと漠然と感じています。

わかりやすく言えば、ドラマ『silent』の中に出てきたミナトくんのような立ち振る舞いが典型例だと思います。

そして、彼のような振る舞いが、いまは理想的なパートナー像であると世間では語られがち。

だから、現代は猫も杓子も、他者に対してケアをして利他的にあろうと強く心がけているわけですよね。

ーーー

でも、誤解を恐れずに言えば、基本的にパートナーのやろうとしていることなんて、まったくもって応援する必要なんてないはずなんですよね、もともと。

もちろん、邪魔も評価も一切しないこと。ここがとっても大事なポイントです。

「へえ」って言いながら、ただただ拝む。本当はそれぐらいの距離感でいいはずなんです。

これはパートナーの問題に限らないけれど、いまは何でもかんでも無理やりに応援しようとする態度が、あまりにも無条件に良いものとされすぎている気がします。

仮にそれがちゃんと相手の役に立っていたとしても、それは良くない結果につながるはず。

なぜなら、そうやって無理やり応援をしてしまうと、必ず「等価交換」を求めてしまうからです。

つまりそんな支援や応援というのは、必ず「偽善」となっていく。

「これだけ応援しているんだから、文句言わずにやれ!」とか「結果を出してくれ!」とか「稼いでくれ!」とか、あらぬ方向に自分の差し出した労力の見返りを求めてしまうわけですよね。

以前も、このブログに書いたように、応援やケアというのは基本的には仏教で言うところの喜んで捨てると書いて、「喜捨」でなければならない。

ここから先は

2,334字

Voicyにて毎日配信している「鳥井弘文の旅と読書とweb3」のテキスト版になります。 https://voicy.jp/channel…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?