原理問題よりも「程度」問題で考えたい。推し活の利己的側面についての考察。

最近よく考えることは、世の中は「原理」問題で考えるよりも、「程度」問題のほうが重要だということです。

たとえば、薬と毒の違いというのも、それは何か明確な原理的な違いがあるというよりも、その物質の総量の違いで、人間にとって毒にも薬にもなるわけで、完全に程度問題ですし、発酵と腐敗の違いもまた同様です。

これは、言ってしまえば「過ぎたるは猶、及ばざるが如し」ということなんだけれども、それが今、世間のさまざまな問題を発生させる原因にもなっているなあと思っています。

そして、ちゃんと世の中を俯瞰的に冷静に眺めている人たちは原理問題だけに執着せず、ちゃんと程度問題まで切り込んでいる。

何かを具体的に実践する局面においては、それが必ず重要になるポイントだからです。

もちろんこれは「深度」の問題だけではなく、横幅、つまり「距離感」の問題でもあるかと思います。

今日は改めてこの原理ではなく「程度」問題で考えたいということを、この場にも書いてみたいと思います。

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この点まず、原理的に考えることが、間違っているというわけではないことは大前提としてお伝えしておきたいと思います。

そうじゃなくて、現代の特殊性は「原理問題に振り切り過ぎているところ」にあると思っています。

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